水と人類、限りある資源の使い方 (3/3ページ)
プラスチック製のタンクを馬の背に乗せ、その日の分の生活用水を汲み取る。この作業は真夏の暑い時期も、マイナス30度の厳寒期も変わらず続けられる。
そもそもモンゴルは、雨のよく降る地域でも年間200ミリがせいぜいだ。喉の渇きは水ではなく牛乳で潤す。
遊牧民の少女が屠殺した羊を洗浄している場面を見たが、コーヒーカップ1杯の水で腸を綺麗に洗ってしまうのには驚いた。
この国では“水は神聖なもの”というが、それは一滴の水も無駄にはしないという精神に他ならない。
■ そこにある水不足の危機
今回はフローレス島とカラコルムの水事情を見てきたが、ここから我々日本人は何を学び取ればいいのだろうか?
「我が国はインフラ整備がしっかり施されている。やはり我々は恵まれている」という結論に達したのなら、それは間違いではない。だがそれで考察を終わらせるのは、物事を途中放棄するのと同じだ。
我が国は高レベルの治水インフラが整っているからこそ、そこにある水資源枯渇の危機が見えづらくなっている。
水資源に恵まれているからこそ、我々日本人は“省水生活”の技術をあまり知らない。我々を支える水資源が何かしらの要因でなくなってしまったら、実は打つ手など何も持ち合わせていないのだ。
とりあえず、この記事を読み終えたらあなたの家の蛇口を確認していただきたい。栓が少し開いたままかもしれない。
蛇口からポタポタと落ちる水滴は、まさに血の一滴に等しいものだ。人間は、水なしに生きていけないのだから。
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※ catolla / PIXTA