天才テリー伊藤対談「三宅恵介」テレビに出たのは制作費削減のため (1/2ページ)
テリー 「オレたちひょうきん族」の裏には、「8時だョ!全員集合」というお化け番組がありましたね。
三宅 当時、ドリフターズは大人気で、視聴率も40%ぐらいありましたし、これは何をやってもかなわない、と(笑)。だから「まったく逆のことをやろう」という戦略をとりました。
テリー その戦略とは?
三宅 例えば、向こうは生放送で、台本を作り込んでキッチリとオチに向かうコントをやっていた。だからこっちはVTRで「ハプニングありきのコント」で行こうとか。
テリー あ~、そういうことだったんですか!
三宅 あとは、チームプレイに対抗して、出演者ひとりひとりのキャラクターを生かしていこうと。例えば、「ツービート」という扱いではなく、あくまでもビートたけしさんとビートきよしさん、という感じ。コンビとして一緒に出演する機会は、ほとんどなかったと思います。
テリー そこまでやるということは、やっぱりドリフターズの存在はものすごく大きかったんですね。
三宅 ええ、ライバルなんて言ったらおこがましいですが。でも、「全員集合」がなければ「ひょうきん族」の大ヒットもなかったと思います。
テリー 番組がブレイクする中で、三宅さんたちも「ひょうきんディレクター」として人気者になっていくじゃないですか。あれはどういう経緯で?
三宅 もとはエキストラを使うとお金がかかるので、「なら自分たちでやっちゃえ」ってことだったんです。
テリー ああ、収録が深夜にかかると、交通費もバカになりませんからね。
三宅 横澤(彪、当時フジテレビプロデューサー)さんにコントに出ていただいたのが最初で、僕たちも少しずつ出るようになるんです。