妖怪ブームとまちおこし、水木しげるが「現世」に残したもの (1/3ページ)
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げ、げ、げげげのげぇ~
嬉しくなるほど昭和臭の濃いタッチで妖怪を描き続けた漫画家。それが昭和に育てられた私の“水木しげる”の印象だ。
多くの日本人が、「妖怪」という用語を民俗学からではなく、水木漫画から覚えたのではないか。(もっとも、今時の子供達は『妖怪ウォッチ』で知るのかも知れないが)
『ゲゲゲの鬼太郎』を知らない日本人を私は知らない。それほど日本人に影響を与えた漫画家・水木しげる氏が、11月30日に93歳で亡くなられた。
「巨星逝く」と誰かが語っていたが、大袈裟では無い、と私は感じた。
■ 戦後に妖怪を復活させた水木氏
ラバウルで左手を失うなど、第二次大戦をその身で体験した水木しげる氏には、戦争ものなどでも優れた作品は多いが、やはり妖怪漫画の第一人者であることは揺るぎない事実だ。
戦後の日本人に「妖怪」を思い出させたのは、あるいは再発見させたのは、民俗学者ではなく漫画家の水木氏だったと言える。
氏は戦争や戦後の混乱を、窮乏とともに体験され苦労されながらも、昭和60年代半ばから漫画家として評価され始め、『ゲゲゲの鬼太郎』の大ヒットにより、妖怪漫画の第一人者となった。
他にも『河童の三平』や『悪魔くん』などが、独特の水木ワールドを展開していった。
そして氏は、我々に見えない妖怪の姿を次々とビジュアル化していった。
その素材は、鳥山石燕(とりやませきえん:1712~1788)などが描いた妖怪画を参考にしているが、文字しか残っていない妖怪達(それが『子泣き爺(こなきじじい)』『砂かけ婆(すなかけばばあ)』『ぬりかべ』『一反木綿(いったんもめん)』たちだというから驚く)も、氏の想像力がビジュアル化していった。このことの功績と影響は大きすぎるだろう。