【歴史の雑学】江戸時代の「飛脚」はスパイだったってほんと? (1/2ページ)

年末になると混み合うのが「宅配便」。年越しパーティ用の景品が年明けに届いた!なんてことにならないよう、早めに注文しておきたいものです。
宅配便の元祖である「飛脚(ひきゃく)」は、東京~大阪間を10日で往復できる健脚の持ち主で、通常便の手紙でも6,000円、速達は14万円!と高額を稼げる仕事でした。大名や政府専用の飛脚も存在し、配達中に見かけた「事件」を報告するスパイも兼ねていたのです。
■東京~大阪、3日の旅で70万円?
宅配便のように個人が利用できる「飛脚」が定着したのは江戸時代で、1663年に大阪の商人がはじめたと言われています。東京~大阪の長距離便に加え、その街での配達を請け負う飛脚問屋も誕生し、やがて多くの地域に広まっていきました。このシステムは現在も同じで、現在の物流システムは300年以上前に設計されたと表現できます。
主要拠点である江戸~大阪間は利用頻度が高く、ひと月に3便あったことから「三度飛脚」とも呼ばれていました。10日で1往復、つまりは5日後には荷物が届くのですから、現代でも許容できるスピードです。当時は旅行も徒歩が当たり前で、江戸~京都の目安が2週間程度、その3倍近くで手紙や荷物が届くのですから、商人にとっては非常に有り難い存在だったのです。
当時の宅配便の料金はいくらぐらいだったのでしょうか? 現在の「郵便」のように、ほかの荷物といっしょに運ばれる手紙でも6千円、専用のチャーター便では14~15万円と、非常に高額だったと記録されています。
「送料」と考えれば高額すぎですが、現在なら「出張扱い」の距離なので、宿泊費や帰り道の費用ももらわないと割に合いません。往復10日なら日当15,000円ほどとなり、現代の物価に照らし合わせても決して高すぎるとはいえません。
新幹線の東京~新大阪間はおよそ500km、これを基準に考えても1日100kmも「走る」のですから、誰でも飛脚になれたわけではありません。