スポーツ紙が報じない「原辰徳と巨人軍」35年目の決別 (2/3ページ)

日刊大衆

原監督にしてみれば、ペナントで苦境に立たされたのも“俺だけのせいではない”というのが本音だったはずです」(前同)

 原監督のフロントへの怒りは、シーズンが進むほどに増していったという。ただ、決定的だったのは、6月に行われた読売グループの人事異動だったようだ。この人事で、山口寿一氏が読売新聞東京本社社長となり、渡邉氏に次ぐグループ“ナンバー2”に就任。同時に原沢敦GMが解任され、後任として読売新聞東京本社運動部長の堤辰佳氏のGM就任が発表された。「山口氏、堤氏は、巨人をメジャー流のフロント主導のチームに作り変えたいという思いを持っていました。彼らにとって、監督生活12年目に突入し、“言うべきは言う”原監督は煙たい存在だったのかもしれません」(前出のデスク)

 優勝すれば続投もありえたというが、山口、堤両氏の就任で、原続投は風前の灯となったとされる。その“風向き”を原監督が肌で感じる事件もあった。「例年、オールスター明けに来季補強案についてフロントから監督にお伺いがあるんですが、今季はそれがなかったんです。原監督はこれを気にして、周囲に“オレはお払い箱みたいだよ”と、こぼしていたようですね」(前同) この一件で、原監督の球団への不信はさらに増したという。

「ただ、この頃、巨人のフロントも混乱を極めていたんです。山口社長は川相昌弘二軍監督を後任に推していたといいますが、日テレ側は江川卓氏を猛プッシュしていました。“優勝すれば原続投”も視野に、川相と江川の二者択一で調整しようとしていたようですが、具体的な動きは取れないでいたんです」(同)

 その理由は、“読売のドン”である渡邉最高顧問の意向が「原の次は松井秀喜、その次が由伸で、その次が阿部慎之助」だったからだ。「ナベツネさんの機嫌を損ねてしまっては大変だと、巨人フロントは本命の“松井詣で”を行います。メジャーでオールスターが開催される7月上旬に、まず久保博球団社長が渡米、松井本人の意向を確認しました。8月に入ると堤GMも渡米し、松井に最終確認を行っています。ここで松井は、“自分は今、監督をやる気はない”と話したようです」(前出の関係者)

 松井に、その気なしを確認した球団は、改めて別の後任候補選びに着手することとなった。

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