世界に根付く「柔道:Judo」独り立ちの時を見守る (2/3ページ)
子供たちが熱心に柔道をやっている横で、大人たちがグラップリングに打ち込んでいるのだ。
グラップリングとは、平たく言えば「ピンフォールの代わりに関節技が許されたレスリング」である。
しかも、ここの大人たちは、上半身裸かTシャツ姿でそれをやっている。もはや柔道ではない。

「子供は柔道、大人は柔術かグラップリングですよ」
『バンサール柔道クラブ』に通う日本人選手の臼井悦規は、そう言いながら笑った。彼は東南アジアのグラップリング界で名を馳せた男である。
「要するに、柔道は子供が格闘技の基礎を覚えるのにもってこいの競技なんです。本当に合理的ですよ、柔道は」
■ 改めて痛感する「自他共栄」のこころ
日本では近年、学校での柔道事故が問題になっている。
だが、相手の関節を破壊するのが目的のグラップリングとは違い、柔道は“相手を投げ倒す”競技である。投げ技というのは、受け身をしっかり取ることさえできれば、身体的ダメージはまず発生しない。
相手に障害を与えかねない技は、そもそも禁止されている。

にもかかわらず、柔道発祥国である日本で重大な事故が相次いでいるということは、現場指導の質が明らかに劣化しているということだ。
どんな分野でも、日本人は、放っておけば自然と同業他者ばかりを意識するようになる。
“初心者を道場に誘う”ことよりも“他の道場よりこちらが上でなければならない”ということを考えてしまう。そうなると、練習もだんだんと実績重視かつ安全軽視のものになる。
要するに、嘉納治五郎は、そんな日本人の欠点を嫌ったのだ。「自他共栄」という言葉の意味を、我々現代人は再考しなければならない。