ベッキーの”現場の評価みたいな部分”への共感が招いた大混乱|プチ鹿島コラム

デイリーニュースオンライン

「冬空のLove Song」より
「冬空のLove Song」より

 もう何年も前になる。「金スマ」でやっていたベッキーの特集が強烈だった。ベッキーは漠然と芸能人に憧れたのではないという。どうすれば芸能人になれるか? と小学生時代から逆算でスタートしたことや、いつだって周囲に気を使うことのできる現在の優秀なプレイヤーぶりなど「テレビの申し子」の様子が紹介されていた。

■ベッキーに感心した部分は”インサイダー”なところ?

 たしか、「細かすぎて伝わらないモノマネ」で"スタッフにVTRのダメ出しをするベッキー"というネタがあったけど、金スマを見たら「ああ、ベッキーなら実際に言いそう」とリアルに納得した。そして気づいたのは、金スマを見た自分のベッキーに感心してる部分がインサイダーなところだ。 「努力家」で「番組作りにストイック」だから凄い、というのは、まるで「ベッキーの仕事ぶりに感心する関係者」ではないか。これは私だけでないと思う。田舎の母親にベッキーの良さを聞いたら「気配りができるところ」って褒めそうだ。

「可愛い」「おもしろい」という芸能人本来の部分ではなく、現場の評価みたいな部分に視聴者側も共感する。たとえば昔「清川虹子の指輪をいきなり口の中に入れる高田純次、やめろと言われても何度もやる高田純次」という名シーンがあった。これは爆笑を生んだと同時に「高田純次は失礼だ」と思ったマジメな視聴者もいたはずだ。大人もストレートな視線でテレビを見ていたからだ。

 しかし今同じことをやればどうだろう。「高田純次、いい仕事した」「あのテンションはすごい」というインサイドな賞賛だらけになるだろう。メタ目線がふつうになった。だからこそ、なのだ。

 ベッキーの不倫疑惑報道について「世間」の反応もどこか「現場の論理」に近いものを感じるのである。「ベッキー、あんなにプロ意識が高かったのにどうして……」という。この逆もある。「ほーらみろ、裏があると思ってた」というのも、完璧すぎるベッキーだったからこそ成り立つ視線ではないか。ベッキーならではの現象。

 会見でベッキーは何度も頭を下げた。スポーツ紙では「スポンサーへの配慮」と書かれていた。そりゃそうなんだろう。でも、あそこまでの神妙な謝罪は「そつのない仕事ぶり」でベッキーをみてきた我々に対する謝罪にもやっぱりみえたのである。「1億総関係者時代」とでも言おうか。

著者プロフィール

putikashima

お笑い芸人(オフィス北野所属)

プチ鹿島

時事ネタと見立てを得意とするお笑い芸人。「東京ポッド許可局」、「荒川強啓ディ・キャッチ!」(ともにTBSラジオ)、「キックス」(YBSラジオ)、「午後まり」(NHKラジオ第一)出演中。近著に「教養としてのプロレス」(双葉新書)。

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