サッカー五輪代表監督・手倉森誠の“カンニング竹山”な選手操縦術(1)現役時代はダメダメな選手生活だったが… (2/2ページ)

アサ芸プラス

しかし成績が振るわず、そのたびに都並さんは『俺がヴェルディにいた時は‥‥』『ヴェルディでは‥‥』と口にしながら選手を指導し続けました」(ベガルタ仙台関係者)

 しかし、コーチだった手倉森監督は、

「今の子に過去の栄光を話しても響きませんよ」

 と、ピシャリ。選手の立場になって意見をぶつけていたという。

 08年に仙台の監督に就任すると、優勝争いを演じるほどに鍛え上げていった。

「練習後はジャージ姿で仙台の繁華街に行き、店で会ったサポーターと酒を飲んでいました。試合に負けるとゲン直しで家のトイレと風呂を掃除して、汚れと負けをすっきり流していたそうです」(前出・仙台関係者)

「何があっても、俺はうまくいく」というのが口癖で、楽観主義者だったという。

「サッカー五輪代表監督・手倉森誠の“カンニング竹山”な選手操縦術(1)現役時代はダメダメな選手生活だったが…」のページです。デイリーニュースオンラインは、都並敏史手倉森誠週刊アサヒ芸能 2016年 2/18号中山雅史サッカースポーツなどの最新ニュースを毎日配信しています。
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