【プロ野球】80歳を迎えた長嶋茂雄の功績を10年刻みで振り返る (2/3ページ)
■1966(昭和41)年:30歳
プロ9年目。前年の1965年から始まった「V9期間(※2年目)」ということもあり、当然、チームは日本一に輝いている。
長嶋はこの年から、大好きな富士山を望む伊豆・大仁ホテルの離れ「富士の間」での自主トレスタート。その成果か、このシーズンは打率.344をマークして自身5度目の首位打者を獲得。26本塁打、105打点(それぞれ王貞治に次ぐ2位)の好成績で3度目のMVPも受賞した。
プライベートでは同年1月26日に長男、長嶋一茂が誕生している。
[30代長嶋茂雄の戦績]
首位打者(1966年、1971年)、打点王(1968〜1970年)、シーズンMVP(1966年、1968年、1971年)、日本シリーズMVP(1969年、1970年)、リーグ優勝(1966〜73年※)※全て日本一
■1976(昭和51)年:40歳
1974年限りで現役を引退し、翌年から巨人軍監督としてのキャリアをスタートさせた長嶋だったが監督1年目は球団史上初となる最下位に転落。そのため、オフに張本勲をトレードで獲得。自身が抜けたことで「穴」となっていた三塁手に高田繁を外野手からコンバートさせるなどのチーム改革に取り組み、1976年シーズンは前年最下位から一転、リーグ制覇を達成した(※日本シリーズは阪急に敗退)。
[40代長嶋茂雄の戦績]
リーグ優勝(1976年、1977年)
■1986(昭和61)年:50歳
浪人時代。長嶋茂雄の人生において、もっとも野球から離れていた期間だ。この年は「花と緑の農芸財団理事長」に就任。千葉・成田から全国に発信する花いっぱい運動に加わった。
《若いころから花屋に憧れたほどの花好きだった。花は一時一処にすべてを賭けて、花を咲かせ実を結ぶ。そんな花に私も世話になってきた。とにかく一日花を見ないと心の安らぎが得られない》と、意外な一面も垣間見せている。
一方、長嶋不在の野球界はといえば、PL学園の桑田真澄、清原和博の「KKコンビ」が揃ってプロ入り。その清原が入団した西武ライオンズが1986年の日本シリーズを制し、「西武黄金時代」へと突入。個人成績では落合博満(ロッテ)とランディ・バース(阪神)が揃って2年連続の三冠王を達成した。
[50代長嶋茂雄の戦績]
リーグ優勝(1994年※日本一も達成)、野球殿堂競技者表彰(1988年)、「ヘイ!カール」(1991年)、正力松太郎賞(1994年)