【プロ野球】80歳を迎えた長嶋茂雄の功績を10年刻みで振り返る (1/3ページ)

デイリーニュースオンライン

誕生日だからこそ振り返りたい国民的英雄・長嶋茂雄の歴史
誕生日だからこそ振り返りたい国民的英雄・長嶋茂雄の歴史

 ミスター傘寿。日本球界の至宝、長嶋茂雄氏が本日2月20日、80歳の誕生日を迎えた。先日もキャンプ視察で元気な姿を見せていた長嶋氏。「長嶋さんの笑顔を見るだけでむしろこっちが元気になる」という往年のファンは多い。大の長嶋茂雄ファンとして知られるビートたけしは、近著『野球小僧の戦後史』の中で「俺にとっちゃ、長嶋さんは絶対的な神様だから」と、その敬愛ぶりを綴っている。

 といっても、若い世代の野球ファンには、現役時代はおろか監督時代についてもリアルタイムで見ていない、という層がどんどん増えているはず。そこで、長嶋茂雄と野球界がどのような80年を歩んできたのかをざっくりとでも振り返るべく、10年刻みでエピソードを掘り起こしてみたい。

※野球の見方が変わるスマホマガジン『野球太郎Pocket』と『週刊野球太郎』でニュースやコラムが読み放題!

■1936(昭和11)年:0歳

 2月20日、千葉県印旛郡臼井町(現・佐倉市)で農家の二男二女の末っ子として誕生。生まれたときの体重は2600グラムと意外にも小さめだった。

 長嶋が生まれる2週間前、2月5日に7チームによる日本職業野球連盟創立総会が開催され、2月9日には名古屋の鳴海球場で我が国初のプロ野球同士の試合、巨人対金鯱戦で行われた。

 当時の巨人軍はといえば、長嶋の誕生日と重なるように第2回のアメリカ遠征に赴き、帰国後は「伝説の千本ノック」で知られる茂林寺の猛練習を経て、9月にタイガースを破って職業野球の王座に就いている。

 長嶋は自著『野球は人生そのものだ』の中で、《生まれた年が職業野球連盟の歴史の第一歩、プロ野球の発端だから忘れられない》《巨人軍の伝統を育んだ記念碑的な年に生まれたといえる》と、野球界との縁について綴っている。

■1946(昭和21)年:10歳

 太平洋戦争が終結した翌年、野球界もさまざまな「復活」の動きを見せた。プロ野球は2年ぶりにリーグ戦を再開。都市対抗野球大会が4年ぶり、全国中等学校優勝野球大会が6年ぶりに開催されている。

 長嶋少年はこの頃、母の手縫いのボールで三角ベースに明け暮れる毎日。自著『野球は人生そのものだ』では《三角ベースをやり過ぎたせいか、プロに入って次打者のフライがキャッチされて一塁に戻る時、二塁ベースを踏まずにアウトになったことが二回もあった》と、後の長嶋伝説のきっかけを明かしている。

[10代長嶋茂雄の戦績]
甲子園出場は果たせずも、高3夏の公式戦でバックスクリーン弾を放ち、一躍、注目を集める存在となった。

■1956(昭和31)年:20歳

 立教大3年生。前年から「4番サード長嶋」として定着し、いよいよ打者として開花したのがこの頃。3年春の東京六大学リーグ戦では打率.458で初の首位打者に輝いている。当時の六大学記録となるリーグ戦通算8号の本塁打を放ち、春秋連覇を達成して「大学野球のスーパースター」と呼ばれるのはこの翌年のこと。

[20代長嶋茂雄の戦績]
新人王(1958年)、首位打者(1959〜61年、1963年)、本塁打王(1958年、1961年)、打点王(1958年、1963年)、シーズンMVP(1961年、1963年)、日本シリーズMVP(1963年、1965年)、リーグ優勝(1958年、1959年、1961年※、1963年※、1965年※)※年は日本一達成

「【プロ野球】80歳を迎えた長嶋茂雄の功績を10年刻みで振り返る」のページです。デイリーニュースオンラインは、長嶋茂雄野球太郎プロ野球スポーツなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る

人気キーワード一覧