かなりアバウトなのに……江戸時代の「時報」は有料だったってほんと? (1/2ページ)

現代人の生活に欠かせない「時計」。電波時計のようにタダで正確な時刻を知ることができるようになりましたが、江戸時代の「時報」は有料だったのはご存じでしょうか?
ときの鐘(かね)で知られるように、当時は鐘の音で時刻を知らせる仕組みで、最初は江戸城でおこなっていましたがやがて民営化。「鐘つき人」という職業が生まれ、付近の住民から「受信料」を徴収する事業へと変わったのです。江戸時代の時刻は昼/夜を6分割した不定時法(ふていじほう)のため、季節によって長さが異なるアバウトさ……お金を払ってまで知る必要ある? なフシギな時代だったのです。
■「ときの鐘」は、おいしい商売?
現在は1日を24時間とし、日常的な最小単位が1秒なのはご存じでしょう。時計の精度も向上し誤差は多くても1日1秒程度、電波時計やNTPのおかげでだれもが無料で正確な時刻を知ることができます。ところが江戸時代の時計である「ときの鐘」は有料… その地域に住むひとは「時報」料金を支払っていたのです。
当時の「時報」は、最初は江戸城内でおこなわれていましたが、2代・徳川秀忠のときにいまの中央区日本橋に移転、辻源七という人物が引き継いだとされています。広い範囲に知らせるためには「大音量」で当たり前、あまりのやかましさに秀忠がブチきれて移転を命じたなんて、まことしやかな話も。いずれにせよ幕府の負担が減ったのはたしかです。
ところが、この移転はいわば「民営化」で、辻源七は給料をもらってわけではありません。そこで幕府は「鐘つき人」という職業を認め、付近に住むひとから「鐘つき料」をもらって生計を立てていたのです。
資料によってことなるものの、鐘つき料は家の大きさによって変わり、武家は別ワクの料金体系だったようで、一般的な家なら年間3~4文ぐらいとされています。