ミスター・ダービー“橋口弘次郎”調教師が引退直前激白!(3)北島三郎の前で「まつり」熱唱 (1/2ページ)
橋口厩舎に所属したダンス2世には安田記念を制したツルマルボーイもいた。同郷の鶴田オーナーにとっての初のGIタイトルであり、「いつか2人で」という夢がかなえられた。この菊花賞と安田記念、ともに鞍上は名手・安藤勝己だった。
「私は納得できる負け方ができる騎手こそが、最もうまいと思っています。オーナーに対してだけでなく、馬券を握りしめているファンも含めてね。だから一流の彼や(武)豊君なんて『どう乗りましょうか』なんて聞いてこない。ハーツクライが有馬記念であのディープインパクトに勝った時も、(手綱を取る)C・ルメールが過去9年分のレースを見ていると聞いて、指示することをやめた。うちの厩舎に初の重賞をプレゼントしてくれた(『仕事人』の異名をとる)田島良保君も、依頼した翌日にビデオを借りに来た。さすがだなと思いましたよ。私は馬を仕上げるだけで、他馬との駆け引きはほとんど(騎手に)任せていた。レースのあとで、いらんこと言わなければよかった、と思うことのほうが多かったしね」
厚い信頼関係は騎手とばかりではない。90年、45勝で初の全国リーディングトレーナーに輝いた際には、厩舎スタッフから胴上げで祝福された。
「あのサプライズはうれしかったですよ。私ぐらいのものでしょう」
82年に開業時、「5年間辛抱してくれ」と8人のスタッフに伝えていた。
「自宅で夕食会を開き、その席で『私は調教師の息子でも騎手出身でもなく無名の男だから、最初の5年間で馬主の信頼を得て、そこからが勝負だ』という思いを話したものでした」
当時、どこの厩舎も重賞などを勝つと、祝勝会と称して、厩舎前でバーベキューパーティをしていたが、橋口厩舎ではそのあとにタクシーを呼び、飲み屋へと繰り出していた。
「カラオケは好きですね。十八番ですか? 北島三郎さん一本です。私の夢の一つは、北島さんの馬で大きなレースを勝ってね、祝勝会といえば当然、歌が出るだろうから、その時にサブちゃんの前で歌うことだったんですよ」
その夢も01年にキタサンチャンネルがニュージーランドT(GII)を制して、実現させている。
「事前に『まつり』の歌詞を変えていいですか、と断りを入れて『♪競馬だ、競馬だ!』って。