"愚連隊の王者"安藤昇氏逝く...波乱万丈の生涯とは (2/3ページ)
刺青や断指などの既存のヤクザの慣習を禁止し、ベネッションのグレーのスーツと黒いネクタイを制服に、丸にAの代紋を模(かた)どった組員バッジを着けることで連帯感を持たせたという。
ダボシャツ姿に刺青をチラつかせた昔気質のヤクザに対し、新しいヤクザのスタイルを確立した安藤組。 当時のヤクザの武器の定番である日本刀(ダンビラ)や匕首(ドス)に変えて、安藤組は米軍から入手した45口径で統一し武装した。同型であれば、弾倉や弾丸(タマ)も互いに融通できる。なんとも理にかなった組織運営に、多くのヤクザたちが舌を巻いた。
彗星のごとく渋谷の地に現れた、任侠界のニューウェーヴ安藤組。安藤氏の斬新な感性は不良少年たちを魅了した。それは、ヤクザ業界で最初といわれる代紋をあしらったバッジを300個つくったものの、たちまちなくなってしまい追加注文したという逸話が物語っている。
■弱冠26歳で愚連隊グループからヤクザ界へ安藤組最盛期には、500人以上の組員が在籍したという。安藤氏に憧れ集まった若者の中には、一流大学の学生や有名進学校の高校生なども珍しくなく、ほとんどが十代後半から二十代後半だった。
のちに安藤氏自身が、『早稲田や慶応在学の学生ヤクザも多かったが、学生ヤクザは8割は卒業と同時に廃業する。残った2割のヤンチャな大学生が安藤組に就職した』と回想している。世間は、彼らを称して『インテリヤクザ』と 呼んだ。
安藤昇氏は、弱冠26歳で愚連隊グループからヤクザ界に転身する、鮮烈なデビューであった。それからの安藤組の躍進は、今も伝説となっている。力道山襲撃計画、アル・カポネの直系ギャングとの談判等、後世に語り継がれるような大事件ばかりである。そして安藤昇は、すべての戦いに勝ち続けた。だが、怒涛のごとく躍進する安藤組を、存続の危機に陥れる事件が勃発する。
1958年(昭和33年)に起こった、安藤組の『横井英樹襲撃事件』であった。これが安藤昇の運命の岐路となる。知人から横井英樹の債務取立てを請け負った安藤氏は、話し合いの席上での横井の傍若無人な言動に激怒。事務所に帰った安藤氏は緊急会議を発令、組員に横井襲撃を命じたのである。