"愚連隊の王者"安藤昇氏逝く...波乱万丈の生涯とは (1/3ページ)
2015年(平成27年)12月16日、元ヤクザの組長で、俳優、小説家、歌手、プロデューサーなど、多くの顔を持つ安藤昇氏が89年の波乱万丈な生涯を閉じた。
鬼籍での新名は、常(じょう)然院(ねんいん)義(ぎ)鑑(かん)道(どう)昇(しょう)居士。葬儀は家族の遺志により密葬とされたが、2月28日に近親縁者を集め『安藤昇を偲ぶ会』が催される。
■ほほの傷を見て「ヤクザ者としてしか生きられぬ」そんな安藤氏との出会いは、今から18年前の1998年(平成10年)7月25日のこと。友であり、元空手世界チャンピオンの士道館士魂村上塾塾長・ 村上竜司の結婚式会場で紹介された。新郎の村上竜司は、紋付姿のままで安藤氏を引き合わせてくれた。目の前に立った安藤氏は、すでに老境の域に達しているにもかかわらず、全身から発する光芒は眩(まばゆ)いばかりだった。
とにかく、スゴいオーラを感じた。村上氏は簡単に筆者の略歴を述べた。(私の)経歴がおかしかったのだろうか、安藤氏は少し口元をゆるめ笑顔を浮かべた。そして、安藤氏はゆっくりと手を差し出した。以来、安藤氏と懇意にさせていただいている。
さて、安藤氏の左の耳の上から口元にかけて、大きな釣り針のような形をした傷がある。反目する中華連盟に所属した、台湾人の悪漢(ヤカラ)に斬られたものである。表面23針、中縫い(=筋肉縫合)7針を合わせ、30針を縫う大ケガであった。手術は無事すんだが、端正な安藤氏の顔にはムカデが這ったような傷跡が残った。トレードマークとでもいうべき左ほほの傷。手術後、安藤氏は鏡を見て、「この顔傷(ガンきず)では自分は生涯ヤクザ者としてしか生きられぬ」と、予感したという。安藤昇氏の若き日の苦い思い出であった。
それから3年後の1952年(昭和27年)、安藤氏は渋谷に『東興業(あずまこうぎょう)』を設立する。 俗にいう『安藤組』と呼ばれた、ヤクザ組織の誕生であった。安藤氏は自身の予言どおりヤクザになったのである。
だが、ヤクザといっても安藤組は古き任侠界から逸脱した、独自の組織形態を持っていた。