まさにジャイアン? 「暴君ネロ」は、歌で市民を苦しめたってほんと? (1/2ページ)

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お菓子の名前のモチーフにもなっている「暴君ネロ」。誰もが暴力的な姿を想像するでしょうが、市民を苦しめたのは「歌」だったのはご存じでしょうか?

妻と母親を殺害したり、自分が大火事の首謀者だったのに他人に罪をなすりつけてしまったりと、「暴君」の名にふさわしい乱暴者だったのは事実。やがて市民の怒りが爆発、反乱により自害に追い込まれました。歌手になりたかったネロは自分が歌うコンサートを開いては、強制参加の市民に聞かせてご満悦… 終わるまで帰れないジャイアン・リサイタルの生みの親だったのです。

■市民を苦しめた「暴君リサイタル」

暴君ネロはおよそ2千年前、西暦37年のローマ帝国で生を受けました。初代のローマ皇帝アウグストゥスの血筋を受ける「生え抜き」のエリートで、16歳のときに第5代皇帝に即位。このときすでに「暴君」としての人生は決定されていたようなもので、

 ・母が4代皇帝クラウディウスを毒殺(とされる)
 ・即位したネロは、義弟ブリタニクスを毒殺

その後は母や妻も殺害……現代とは感覚が違うにせよ、まさに泥沼の人間関係のうえに立っていたのです。

暴君ぶりは文化行事にも色濃く表れました。ネロ的オリンピックを始めたり、自分の歌や詩を聞かせるリサイタルをおこなっていたのです。

オリンピックの前身である「オリンピア祭」が始まったのは紀元前776年とされ、ネロが皇帝だったときももちろんおこなわれていました。本来は神に捧げる「お祭り」でローマ人にとってはとても重要なイベント、ところがネロはなにを血迷ったのか、オリンピア祭に対抗して「ネロ祭」を開始、5年に1度開催するように決めてしまったのです。

また、自分の歌や詩を披露するコンサートもたびたび開催、人気があった! どころか観客は強制的に集められた市民。入場すると終わるまで帰れない、拷問のようなコンサートで市民を苦しめていたのです。

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