総額1兆2500億円!? 薩摩藩は「250年ローン」をふみ倒したってほんと? (2/2ページ)
努力の甲斐あって、外様大名だった島津家は強い権力を手に入れることに成功したのでした。
彼のすごいところは、すぐに役に立つことではなく、後に大きな意味を持つような手を展開していったことです。水戸藩と交渉して、「大日本史」に一説としてという注釈付きではあるものの、先祖が源頼朝の庶子と書いてもらうような藩主はほかにいません。
しかし規格外のすごさはプラスの面だけではありませんでした。
■借金まみれの藩を救った茶坊主
薩摩藩の借金は重症でした。その額500万両、今でいう1兆2500億円ほどです。これは、江戸への参勤交代に加えて、重豪が教育へお金をつぎ込み、どんどん増えていった結果でした。さらに泣きっ面にハチとばかりに、桜島も噴火します。絵にかいたような借金地獄でした。
悩んだ重豪はダメもとで、茶坊主である調所笑左衛門を大抜擢。下した命令は、「借用証文を取りかえせ、そして50万両を備蓄金として蓄えよ」という無茶ぶりでした。
笑左衛門はまず、薩摩藩の得意分野、中国からの輸入品目を増やします。すると砂糖の生産に目をつけていた孫兵衛と出会い、彼が薩摩の砂糖が有望と触れこんで、新たな融資団を集めました。こうして基盤が整い、前代未聞の財政改革が始まりました。
まず藩とは別に、新たな会社「島津家」を設立します。専売とした砂糖を、物流の合理化、高品質化を図り、より高く売れるように工夫しました。砂糖以外にも工夫を重ね、大阪市場では薩摩藩の品物は極上品として高く取引されるようになったのです。
肝心の借金は、「250年かけて返済する、ただし利子はナシ」と宣言。少しずつ返済し続けるのがミソでした。とんでもない好条件で商売を続け、破綻は回避。その結果、返済しつつ100万両以上の備蓄金までできたのです。笑左衛門の備蓄金は、のちに斉彬が明治維新への準備として、反射炉の建設や軍艦の製造などに使いました。重豪の意識改革と笑左衛門のお金がなければ、明治維新は成し遂げられなかったかもしれません。
ちなみにこの借金、約束を守って返済を続けたそうですが、明治維新・廃藩置県となり、島津藩が消滅してからは払っていません。実質的に踏み倒したのでした。
■まとめ
・薩摩藩は、現在の1兆円クラスと、トップクラスの借金を背負った藩だった
・借りたお金は「250年ローン・無利子」と宣言。商売を続けて蓄えを増やした
・明治時代の「廃藩置県」を機に返済はストップ。事実上「ふみ倒し」たのと同じ
(沼田 有希/ガリレオワークス)