男も勝てません! 日本史上の女傑7選!
『広辞苑』によれば「女傑」とは「女子で傑出した者。男まさりの女丈夫」となっています(第六版:P.1410より引用)。日本史を振り返ってみますと、時にきらりと光る女傑が登場します。今回は、並の男性では太刀打ちできそうにない日本史上の女傑をピックアップしてご紹介します。
●肝っ玉母さん! 神功皇后
第14代天皇・仲哀天皇の奥さんですが、この方は気合の入った女性でした。『日本書紀』によれば仲哀天皇の熊襲(くまそ)征伐に同道していますし、仲哀天皇が亡くなった後には熊襲征伐に成功。その後、身重の体なのに朝鮮半島に三韓征伐に赴きます。玄界灘を渡ってまず新羅を攻め、新羅・高句麗・百済を屈服させたとされています。渡海の際には石をおなかに当ててさらしを巻き、出産を遅らせたそうです。
●蓄財の鬼! 日野富子
日野富子は「日本史上の三悪女」の一人に挙げられます。室町幕府の8代将軍・足利義政の正妻ですが、自分の息子・義尚を9代将軍の地位に就けるため画策し、これが武士団の対立を生み応仁の乱につながりました。京に7カ所の関所を設けて税を徴収し、また金貸しをするなどして莫大な富を手に入れました。その総額は現在の価値で70億円に達するといわれます。希代の女傑であったことは確かです。
●美貌の戦士! 巴御前
源平の戦いに登場する源義仲(木曽義仲)に仕えた女武者ですが、その実像はよく分かっていません。架空の人物という説もありますが、美貌を備えた非常に強い女性だったとされます。『平家物語』によると、宇治川の戦いに敗れて逃げる義仲に付き従い、その際左右から襲ってきた武士の頭を抱えて締め、その頭をもいだそうです。怪力もすごい一騎当千の強者(つわもの)と描写されています。
●「尼将軍」と呼ばれた! 北条政子
鎌倉幕府を開いた源頼朝の奥さんです。嫉妬深く気の強い女性だったようで、頼朝の愛妾であった「亀の前」の住んでいた家を打ち壊し、住まわせていた伏見広綱を流罪にさせています。また息子・頼家が巻狩りでシカを射たのを喜んだ夫・頼朝は、その旨を政子に伝えるのですが、その際に「武家の跡取りがシカを取るなど当たり前」と使者を追い返しました。頼朝亡き後、出家して尼となりますが、幕府に影響力を発揮し続けたため「尼将軍」と呼ばれました。
●さすが四天王の娘! 小松姫
NHK大河ドラマ『真田丸』の主人公である真田信繁の兄・真田信之の奥さんです。小松姫の父親は徳川四天王といわれた本多忠勝。本多忠勝といえば、その勇猛な戦いぶりで有名な武将ですが、その血は娘・小松姫にも受け継がれたようです。関ヶ原の戦いの際、西軍についたしゅうとの真田昌幸が小松姫のいた沼田城に立ち寄ります。小松姫は、しゅうとの「孫の顔を見たい」という要請をぴしゃりとはねのけ開城しませんでした。この態度には昌幸も感じ入ったそうです。
●虎ですが女です! 井伊直虎
井伊直盛の娘です。直盛には息子がいなかったため、彼女は婿養子を迎える予定でした。しかし、仕えていた今川家で政変があり、彼女は出家して「次郎法師」という名前を名乗ることになります。その後、桶狭間の戦いで父・直盛が戦死し、今川氏の勢力が衰退。家督を継ぐ者が次々と死に、井伊家の当主の座が彼女に回ってきたのです。直虎と名乗った彼女は井伊家の存続を懸けて生きました。数奇な運命で誕生した珍しい女性領主で、2017年のNHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』の主人公です。
●地震でも冷静沈着! 菊姫
菊姫は、武田信玄の娘で上杉景勝の奥さんです。『藤林年表』という資料によれば、慶長伏見地震(1596年発生)の際に、菊姫は梁(はり)を怪力で支え、大音声で「女中ども、出でよ、出でよ」と呼ばわったそうです。仕える女中たちは菊姫が支える梁の下をくぐり脱出。景勝の伏見屋敷では死者が一人も出なかったと伝わります。
菊姫の怪力話はこれだけではなく、景勝と碁を打った際のエピソードが残っています。景勝が悪手を打ってしまい、盤面をよく見せてくれ、いや見せないとけんかになりました。そのとき菊姫は重い碁盤を左手だけで軽々と持ち上げたそうです。地震のときの落ち着きといい、さすが「信玄の娘」ですね。
日本最初の女帝・推古天皇、豊臣秀頼の母・淀君、『魏志倭人伝』にその名が記された卑弥呼といった女性たちも日本史上に残る女傑といえるのではないでしょうか。あなたは、日本史上の女傑といえば、どんな女性を思い浮かべますか?
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(高橋モータース@dcp)