海外ではこう伝わっている。日本の江戸時代に関する10の史実 (7/8ページ)
しかし体の切断は儒教においては禁忌である。そこで遊女はまだ客を取らない妹分の振袖新造の爪を切ったり、死体から指を手に入れて、自分のものと見せかけるようになった。
こうした愛の形はやがて心中へと発展する。おそらくは18世紀の天災や貧困によって誇張されていると思われるが、大勢の愛に狂った男が遊女と心中したという。
これは一般大衆の関心を引きつけ、やがて心中を題材とした舞台が公演される。特に有名なのは近松門左衛門で、『曽根崎心中』以降、多くの連作が作られた。
やがて心中は社会問題となり、幕府は心中物はおろか、心中で亡くなった男女の葬式まで禁止するようになる。また生き残った者は刑罰が科され、相手を殺害していた場合は殺人罪が問われた。・1. 非情なる法制度
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盗人の手を切り落としたり、殺人者の首をはねたりするのは、同時代においては標準的なことかもしれないが、江戸幕府の犯罪に対する態度は実に厳格だ。
例えば、盗難被害を報告しないことは、盗難を犯すのと同様に違法だった。盗人への流刑や死罪があったが、後の時代には額に入墨を入られるようにもなった。
また裸にされ、3日間公衆の面前で座り続ける刑罰もあった。死罪は最も重大な犯罪にのみ適用されたが、処刑後に磔や晒し首になることもあった。なお切腹が許されたのは武士だけである。
さらに当時の社会制度を維持するために、農民は移動の自由が大きく制限されていた。彼らが別の村へ移動できたのは、送り状という証書がある場合のみである。また彼らは着るものも決められ、苗字を名乗ることも許されなかった。武士を敬わなければならず、不敬のかどでいきなり切り捨てられることもあった。
面白いのが田舎で行われた入れ札という制度で、放火や窃盗の犯人が見つからないとき、投票によって真犯人を決めるというものだ。このとき犯人とされた人物を弁護した者も同罪となり投獄された。