紀元前4世紀の哲学者ソクラテスが教える「お金との最適な距離」
ソクラテスといえば、だれもが知る古代ギリシアの哲学者。いまから2400年前、生まれ故郷であるアテナイの街に出て、若者に質問を投げかけて対話をしていたということで知られています。
本人すら気づかない「本当の考え」を引き出す「ソクラテス式問答法」という対話法を得意としていたことも有名な話。
『ソクラテスに聞いてみた 人生を自分のものにするための5つの対話』(藤田大雪著、日本実業出版社)は、そんなソクラテスが登場人物として活躍するユニークな書籍。
現状に不安や不満、疑問を感じる27歳の青年と、いきなり目の前に現れたソクラテスとの対話を軸に、ストーリーが展開されていくのです。
きょうはそのなかから、第4章「お金 お金との「ちょうどいい距離」とは?」に注目してみたいと思います。
■投資は確実に富をもたらすものではない
将来の生活を不安に思っていたサトルは、その打開策として「投資」に注目し、その重要性をソクラテスに説きます。
ところが意見は噛み合わず、ソクラテスはサトルに「投資をする人の人生を吟味しよう」と提案します。
将来の生活を憂えて投資をはじめようとしているということは、投資によって将来の生活不安を和らげたいと願う心が宿っているということ。
では、その心は、それが宿った人間の魂を全体としてどのようなものにつくり変えていくものなのか? すなわち、投資家のメンタリティを持つことが、人間の生き方にどういう影響を与えるのか?
ここで重要なのは、投資が必ず儲かるものではなく、不確実性が伴うものであるという事実。どんなに優秀な投資家であっても、損をする可能性はゼロではないということ。
つまり投資は、確実に富をもたらす性質のものではないとソクラテスはいうのです。
■備えあれば本当に「憂いなし」でもない
だとすれば、投資によって将来の生活不安を和らげたいと願う投資家たちは、自分の意のままにならない事柄に自らの運命を委ねているということになるはず。
ところで、自分の意のままにならない事柄に運命を委ねる人は、内面的になにかの不安を抱え込みやすくなるのではないか? ソクラテスはそう疑問を投げかけます。
サトルはそれに対して「備えあれば憂いなし」と反論しますが、ソクラテスはそこを指摘します。
本当に「憂いなし」なのか? ほかならぬ「備え」のために、ずっと大きな憂いを抱えているように見えると。
■なにを愛し求めるかで人の価値が決まる
次にソクラテスはサトルに対し、一般的にいって、「なにかを追い求めようとする場合、そのなにかの点で不安になったとすれば、それについて考えることはいっそう多くなる」と指摘します。
だとすれば、財産の点で不安を感じやすい投資家は、お金のことを気にしやすく、お金に執着した人間になりやすいということになるとも。
つまり、お金に執着した人間になることは恐ろしいということをサトルに伝えたかったわけです。
そして、このような趣旨のメッセージを伝えます。
・人間の値打ちは、「なにを愛し求めるか」によって決まる。
・立派なものを愛し求め、徳のために最善を尽くす人は、もうそれだけで立派で幸せな人である。
・逆にお金の魔力にとらわれた人は、心が狭く、お金以外の価値を信じられない人間になる。
・その結果、幸福な人ならだれもが持っている大らかさや朗らかさをうしなっていく。
だからこそ私たちは、自分の心にお金への執着が生まれないように気をつけなければならないというのです。
金儲け以外のことにはいっさい心を向けず、ただ「できるだけたくさんお金がほしい」と願いながら一生を送るなどということは、恥ずべきことだと。
なぜならそれは、たった一度しか生きられない人生の価値を、自分自身の手によって、小さく、みすぼらしく、つまらないものにしてしまうことだから。
■ソクラテスの考える正しいお金の使い方
そしてお金は、「いい使い方」をすることが大切。そう主張するソクラテスは、自分が考える「いい使い方」とは、大切な人のために使ったり、立派で美しいことのために使ったりする、そういうお金の使い方だといいます。
そういう使い方ができない人は、いくらお金を持っていても不幸せだというのです。
なぜなら、友だちや恋人よりもお金のことを気にかけるような人は、決して「幸せ」ではないはずだから。
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ここでは簡略化していますが、実際のサトルとソクラテスとの対話は、まるで禅問答のよう。つまりは堂々巡りの連続であるわけですが、だからこそ最終的には“真理”へとつながっていくことになるわけです。
ソクラテスをホームレスのようなキャラクターに設定しているなど、見方によってはかなり強引な部分もありますが、そこが本書のおもしろさだともいえそうです。
(文/作家、書評家・印南敦史)
【参考】