北条かやとは何なのか:ロマン優光連載55 (2/4ページ)
広範囲を示すものだから、北条氏が「こじらせ女子」を名乗っても別にいけないことではないのだが、勝手に代表面して定義を始めるというのは何か違う話だろうと思われても仕方がない。北条氏本人が望んで代表になろうとしたわけでも、代表として定義付けしたかったわけでもなく、編集者の要望やイベントでの要望に近視眼的に応えただけなのだろうが、物を書く人間としてそのことの意味を考えずに乗っかることは物書きとしての資質に疑問を抱かざるを得ない。クライアントの要望に応えるというのは職業意識の高さの表れかもしれないが、そういう要請されるがままに乗っかってしまうだけの応え方はタレントのやり方で物書きのやり方ではない。「私、便乗してまーす」とおちゃらけたり、「我こそはこじらせ女子界の革命児なり!」と大きくでるような開き直った強い姿勢があれば、また反感の形も変わってきたかもしれない。
実際の原稿については、好みや想定される対象ユーザーの問題があるので一概には言えないが、個人的な感想で言えば、特に突出した部分は感じられず、全般的に浅めの考察が展開されている感じだ。「ヲタク=非モテ」のような対象に対するリサーチが足りない論外なものもあるが、基本的には「特に間違ってはないが、目新しい部分はない」ものがほとんど。ここからさらに分析していくと面白くなるのにというところで分析をやめてしまっている、言うならば本題の入口にたった時点で話が終わってしまう。ある章で北条氏はお金持ちは嫉妬されやすいと記述している。これは間違ってはないが、正しくもない。お金を持っていることは嫉妬の対象にもなるが、羨望の対象でもあり、賞賛の対象にもなる。どのような金持ちが、どのようなシチュエーションで、どのような人に嫉妬されるか、悪く言われるのは嫉妬だけが原因なのか、まで考えて書かないと深みも面白みもでないのではないだろうか? これは一例であるが全体的に思いつきレベルで終わってる文章が多い。
切り口の面白さだけが文章の魅力ではない。語り口の面白さというものがあれば、十分面白いものが書くことができる。そういった面から見てみると北条氏の文章は簡潔でわかりやすい美しい文章を目指してるのだろうが、削りすぎなのか文章の繋ぎがあまりうまくなく、リズム感やテンポもあまりいい風には思えない。