北条かやとは何なのか:ロマン優光連載55 (1/4ページ)
ロマン優光のさよなら、くまさん
連載第55回 北条かやとは何なのか『こじらせ女子の日常』というのは奇妙な構造の本で、「こじらせ女子」であるところの北条かやが女性に密接な関係があると思われる様々な事象について考察を加えていくという内容なのだが、北条かやが何をもって「こじらせ女子」なのか、「こじらせ女子」とは何であるのか、本文中で明確に語られることは一切ない。「みなさんご存知の!」といった感じで「こじらせ女子」という概念が既に周知されている前提になっており、雨宮まみのこの分野における功績が語られることも特にないかわりに北条かやが編み出した新しい概念という記述も特にない。というか、この本は過去の原稿に加筆修正をおこなったものを中心にまとめられたもので、そもそも「こじらせ女子」について言及していこうという主旨のもとに書かれたものではなく、要するにタイトルだけで便乗してるだけの本ではないだろうか。こういういいかげんな便乗の仕方をすることは、実体のある著述家として活動していくつもりの人物の本のタイトルとしては本人にとってそうとうリスキーであり、編集者の見識に疑問が生じる。本来、内容的には関係性が薄い本に「こじらせ女子」という冠を被せた結果、「こじらせ女子代表・北条かやが社会の色々なことを語る」という、かなり悪質な便乗本になってしまったわけだ。
こういう「便乗本」を出すなら、「便乗本でーす」とおちゃらけるなり、「先達の影響化で」と真面目ぶるなりして、あくまで自分は後から乗っかったことを 明確にすることが反感を軽減するためには重要なのだが、北条氏はそういう行動にでることはなく、イベントで「こじらせ女子」の定義を語るという行動に出たわけだが、それはとんでもない悪手であったのではないだろうか。雨宮氏が提唱した「こじらせ女子」というのは「様々な要因で社会の中で女性としてのアイデンティティが揺らいでいる女性の総称」ぐらいのもので、そのサンプルとして自己の体験を大幅にフィーチャーしたのが『女子をこじらせて』であり、ミソジニーに流れがちな「童貞をこじらせる」という既成の概念に対する女性からのカウンターの側面を持つものだったと自分は認識している。