再評価・田中角栄「天才政治家の豪快伝説」 (2/4ページ)
『田中角栄 相手の心をつかむ「人たらし」金銭哲学』(双葉社刊)の著者である向谷匡史氏は、「日中共同声明発表後、角栄氏と中国の周恩来首相が北京から上海へ移動中の機内でのこと。周首相と歓談していた角栄氏は居眠りを始めました。随行の政府関係者は慌てて、“首相、首相……”と起こしにかかりますが、本人は爆睡状態。一方の周首相は“疲れているんでしょう”と笑って角栄氏を気遣ったそうです。“失態”のはずが、笑いを誘い、親近感を抱かせるところが、彼の人徳だと思います」
かつての選挙には実弾(現金)が飛び交っていたとされる。自民党幹事長時代の角栄氏は、自派閥のみならず、他の派閥候補にも軍資金を配った。そのやり口に“角栄流人心掌握術”が象徴されているという。「候補者にとって必要なのは、“頑張れ!”のひと言よりは軍資金。しかし、“出してやる”という傲慢な態度で出したら、相手のプライドが傷つきます。そこで、角栄氏は届ける秘書に“どうか納めてくださいと、土下座するくらいの気持ちでやれ。そうすれば金が生きる”と厳命していたそうです」(前同)
角栄氏と同じく越後出身の戦国武将・上杉謙信は敵に塩を送った逸話が知られるが、角栄氏の場合は敵に衣類を送ったという。ロッキード事件を批判して作家の故・野坂昭如氏が角栄氏と同じ選挙区から衆院選に立候補した際のこと。時は真冬。雪に慣れない野坂氏が苦戦しているのを見て、角栄氏は秘書に「風邪を引くから、靴下、長靴、手袋を差し入れてやれ」と命じたというのだ。政敵に対してでさえこうなのだから、あとは推して知るべし。
前出の浅川氏が初めて角栄氏に取材に行ったときのこと。帰り際に角栄氏は、「ところで、君は何年生まれだ?」と聞いた。浅川氏は、「昭和17年です」と答える。すると角栄氏は、「5歳で亡くなったワシの長男と同級生だな。大きくなっていたら、君のようなジャーナリストになっていたかもしれん。これも何かの縁だ。いつでも気楽に遊びに来てくれ」と言ったという。「東京・神楽坂の料亭では、会談した相手の運転手にまでチップを渡していましたよ。無学の叩き上げだったからこそ、運転手にまで気配りができたんでしょうね」(浅川氏)
マスコミへのサービス精神も旺盛だ。