古代ローマの奴隷制度に関する10の事実 (2/6ページ)
エウヌスは自らを予言者と称し、不思議な幻視能力があると触れ回っていたらしい。
シケリアのディオドロスによると、エウヌスは仲間を説得するために、口から火花や炎を吐き出す手品を使っていたそうだ。反乱はローマ軍によって鎮圧されるが、これはさらに紀元前104~103年にシチリアで起きた別の反乱の引き金となる。だが、おそらくもっとも有名なものは紀元前73~71年にかけて起きたスパルタクスの反乱だろう。反乱軍は数万から数十万にまで膨れ上がったという。・8. 割り当てられる仕事で運命が左右される
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奴隷たちの生活環境は様々であった。割り当てられる仕事によって大きく変わり、農夫や炭鉱夫などの過酷な労働に従事する奴隷は、悲惨なものだった。
特に炭鉱夫の悲惨な状況についてはプリニウスが伝えている。「山には松明で照らしながらトンネルが掘られる。炭鉱夫は松明が消えるまで坑道から出ることを許されず、数ヶ月の間日の光を見ることもなかった。(中略)突然亀裂が走り、炭鉱夫を押しつぶした。これで海の底に潜っての真珠や紫貝の採取はいくぶん安全になったようだ。我々はかくも危険を冒して乾いた大地を作りだしたのだ!」
反対に家事手伝いの奴隷は多少は人間的な扱いを期待することができたし、場合によってはお金や財産を手にすることもできた。この財産はペクリウムと呼ばれ、法的には主人によって所有が認められた私有財産のことであった。つまり早い話が、奴隷は自分の好きなようにお金を使用できたということだ。
そして十分な財産を築くことができた奴隷は、自らの自由を買うこともできた。そうした奴隷は解放奴隷と呼ばれ、奴隷とローマ市民の中間の立場にあった。