リングと呪怨の2大キャラが激突!映画『貞子vs伽椰子』を徹底分析

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映画『貞子 vs 伽椰子』公式サイトより
映画『貞子 vs 伽椰子』公式サイトより

 6月18日に公開開始した白石晃士監督(43)の最新作『貞子vs伽椰子』。『リング』の貞子と『呪怨』の伽椰子が激突します。かつてはエイプリルフールネタにも使われた程の出オチ感溢れるタイトルですが、実際にお披露目されたそれは、過去作への丁寧なリスペクト、美しすぎる論理展開、感動すら覚えるラストを備えた、至高のホラーエンタテイメント作でした。

 僕が特に評価したいのは、この作品が確かに『リング』であり『呪怨』でありながら、それ以上に、明確に白石晃士の作品であったということです。過去作へのリスペクトを踏まえながらも、決して呑まれることなく凄まじいオリジナリティを発揮しており、監督の職人気質と作家性が高いレベルで調和しているのです。

 以下、ネタバレを含むレビューとなります。

■過去作への「最大限」のリスペクト

 まずはこの点を押さえておく必要があるでしょう。この作品はきちんと『リング』であり『呪怨』です。

 冒頭のシーン、役所の人が家を訪れ、住民である老人の身を案じて家の中に入っていくシーンは、まさに「呪いの家に善意で入ってしまう」呪怨の導入部であり、見ていて「あ、呪怨だ」と感じます。

 しかし、死体で見つかった老人の死因は『呪怨』の伽椰子によるものではなく、呪いのビデオテープを起因とする貞子によるもの。呪怨の演出を用いながら、貞子の呪いを見せる冒頭シーンは、まさに『貞子vs伽椰子』のタイトルの具現化です。

『リング』パートでは、この御時世にDVDや動画ではなく、あくまでVHSテープとして「呪いのビデオ」が出てきた点が特筆されます。『貞子3D』などでは既にビデオテープではなく動画になっているのですが、ここは原点回帰。ヒロインたちがビデオテープを入手した下りも、概ね無理なく描かれます。ここの処理は上手かった。

 ただ、『リング』方面に関しては、原作からの設定変更が多かったことは否めません。そもそも『リング』は謎解き要素の強いホラーでしたが、今回はミステリー要素はオミット。尺的にどう考えても入れられないので妥当な判断ではありますが、そのニュアンスを期待した人には残念な点かもしれません。

 一方、『呪怨』の方は撮影現場の家が変わった点以外は、かなり忠実にニュアンスが再現されています。『呪怨』の特徴は「呪いの家に入った者は老若男女、善悪、動機関係なく無差別で殺す」という一線を越えた怪異の暴虐さにあります。「普通はここで一端怪異が引っ込む」はずの場面で、むしろ伽椰子がグッと前に出て、「普通はこいつまでは殺さない」相手までバリバリ殺す。その暴虐なニュアンスがとてもよく表現されており、これは明らかに『呪怨』です。

『リング』側の設定改変に関しては、他にもテープ視聴後から死までの猶予時間が変更されていますが(7日→2日)、これは構成のバランス上の問題でしょう。謎解き要素がない以上、7日は長過ぎますからね。貞子と伽椰子のバックボーンがぼやかされているのは監督のオリジナリティとの兼ね合いと思われます(後述)。

 こういった改変や削ぎ落とされたニュアンスはありつつも、それは作品クオリティとの天秤にかけた結果であって、制約の中で「最大限」に過去作をリスペクトしていることは間違いありません。ギリギリのバランス調整の末に、様々な要素を切り落としながらも、それでも『リング』であり『呪怨』であることがちゃんと伝わる。実に丁寧で見事な仕事です。

■二大覇者激突に至る美しすぎる論理展開

 本作の特筆すべき点として、貞子と伽椰子が激突に至る論理過程が非常に美しいことが挙げられます。

 vsモノの最大の問題は、世界観の違う二つの作品をどうやって同じ世界で並べて接触させるか、という動機付けでしょう。『エイリアンvsプレデター』はかなり成功した部類のvsモノだと思いますが、あの設定も「無理のない範囲でよく練られている」レベルを脱していませんでした。しかし本作の論理は「無理がない」どころか、「美しい」レベルで構築されています。

 キーとなるのは、貞子の呪いを解くべく除霊を始めた女霊能力者が返り討ちに遭うシーン。そして、貞子の呪いに怯え自殺を図った女の子が自殺前に貞子に殺されるシーンです。本家『リング』にはない追加設定ですが、これで「貞子の呪い遂行を邪魔するものは貞子の攻撃対象となる」というルールが明確化されます。

 一方で、伽椰子は「家に入ったものを攻撃対象とする」。ならば、呪いのビデオを見た者が呪いの家に入ったら……? そう、貞子と伽椰子、二大怨霊覇者のルーリングが激突するのです。貞子も伽椰子も覇者の風格を持つ怨霊なので己のルールを曲げることなどできません。

 呪いは「AをするとBになる」という論理でもあります。霊能力者「常盤経蔵(安藤政信・41)」は「呪いのビデオを見た者が呪いの家に入る」という作戦を通じて両者の論理を操作し、能動的に「論理をぶつけ合い」、論理矛盾による対消滅を狙うのです。

■明らかに白石監督の仕事

 本作は白石監督のオリジナリティが強く発揮された作品と言えます。『リング』と『呪怨』を丁寧に表現している前半部からして、白石監督の色が既にかなり強い。「あ、リングだ」「あ、呪怨だ」と思うと同時に、明らかにリングでも呪怨でもない、白石監督のオリジナリティが発揮されているのです。

 一つにはキャラクターの妙なしたたかさ、逞しさがあります。呪いのビデオの危険性を重々承知しながらも知的好奇心にアッサリ負けて喜々としてビデオを見る民俗学教授や、いじめられっ子に呪いの家に閉じ込められて怪奇現象に遭遇するも、「あれ? この家を利用したらいじめっ子を皆殺しにできるんじゃね?」と考えちゃういじめられっ子など、なんか妙に芯が強い。こんなキャラ、『リング』にも『呪怨』にも出てこないよ!

 いじめられっ子の反撃に遭ったいじめっ子たちが、手に手に石塊を持って呪いの家に乗り込んでいくシーンもスゴイですね! 全然ギャグシーンじゃないのに絵面の凄まじさに爆笑してしまう。ちびっ子たちの身体の小ささと、原始的な石塊を武器として握るギャップ。この「絵的なやり過ぎ感」は明らかに白石監督の作風です。こんな感じで、本作には全くギャグ要素はないのに、あちこちで爆笑してしまう。完全に白石監督の仕事です。

■爽快感溢れる絶望のラストシーン

 そして、何よりもラストシーンのカタルシスが凄まじい。

 これは白石監督の作品世界――、いわゆる白石ユニバースを前提におくと理解しやすいのですが、白石監督の恐怖表現には「異界」というキーワードがあります。人智の及ばぬ圧倒的な世界である「異界」が存在し、そこからのエネルギーがしばしば人間界に流れ込んで怪異を引き起こす。それは人間の霊や動物霊とは別格の脅威であり、人間側の霊的技術体系では御し切れない、という思想です。

 そして、この思想が「貞子vs伽椰子」の根底にもあり、この作品を紛れも無く「白石監督の作品」としています。貞子と伽椰子のバックボーンを曖昧にして都市伝説化したのも、この思想性との兼ね合いで、ここは評価が分かれるところでしょう(正確には、それ以前に尺やバランスの問題があり、様々な問題を解決させるために、自身の思想性に軸を置いた、という感じでしょうか)。

 この処理によって、本作の貞子と伽椰子は本来の人間霊ではなく、「異界の勢力」と設定し直されます。霊能力者であり本作のヒーローである経蔵、ならびに霊視少女の珠緒(菊地麻衣・11)はおそらくそれに気付いていない。強力な人間霊だと考えて対処に動きます。人間霊であれば、苦戦はしても最後は霊的技術体系を駆使することで解決できる(ヒロインを生贄にして井戸に封印する)と考えています。だから、経蔵は最後までニヒルにカッコ良く戦い、珠緒も年齢にそぐわぬ超然とした態度を保ち続けます。

 それが一転するのが貞子と伽椰子が激突して、「さだかや融合体」に変わった瞬間で、経蔵はその余波を受けただけでアッサリと死亡。霊的技術体系の結晶たる封印井戸も理不尽に破られます。そして珠緒も、貞子、伽椰子の本性たる「人智の及ばぬ異界のエネルギー」を目の前にしたことで、ただの無力な少女へと戻り、絶叫を上げてこの作品は終焉を迎えるのです。

 並の人間よりも霊的に卓越した経蔵と珠緒が、人智を遥かに超越した存在に直面した瞬間、相対的に「ただの人間」の枠に押し込められてしまう。人類の叡智たる霊的技術体系は一蹴され、圧倒的脅威の前に人類に打つ手は一切なくなってしまう。そこに本作のカタルシスが結集されており、貞子と伽椰子という二大看板役者を最大限に格上げして、本作は華々しく終結するのです。

 呪いのビデオが動画として蔓延したこともあり、おそらくこの後、人類は滅んだと思われますが、完璧なバッドエンドにもかかわらず異様なまでの清々しさと高揚感! 「いやあ人類滅んだ。本当に良かった!」と心から思える爽快感! 僕たちは貞子と伽椰子の活躍を見に来たのだから、彼女たち二人が最大限に格上げされれば、そりゃあ気持ち良いわけですよ。

 ただ、ラストシーンはこれまでの白石監督作品群を見てなければピンと来ないかもしれません。そういった視聴者にも、「人智を超越する強大な存在が現れて、人類は敗北した」というニュアンスが伝わっていることを祈ります!

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 最後に繰り返しますが、僕がこの作品で何よりも評価したい点はそのオリジナリティです。

『リング』にも敬意を払う。『呪怨』にも敬意を払う。その上で「自分の作品を作る」という意志が明確に感じられる点です。単に焼き直したりくっつけたりは縮小再生産なので、新作を作るからには次の一歩を踏み出さなきゃいけないんですね。本作には白石監督でなければ出てこないキャラクターたちが動きまわり、ラストシーンでは監督の信じる最大の恐怖表現『異界』が描き出されています。

 無論、どこまで自分の作家性を出すべきか、『リング』『呪怨』の要素をどこまで変更して許されるのか、そこには葛藤があったと思います。「リングファン」「呪怨ファン」「白石ファン」全ての観客が納得できるバランスではないのかもしれません。それでも「リングファン」であり、「呪怨ファン」であり、「白石ファン」である僕としては、今回の調整は最善に近い回答であったと思うのです。

著者プロフィール

作家

架神恭介

広島県出身。早稲田大学第一文学部卒業。『戦闘破壊学園ダンゲロス』で第3回講談社BOX新人賞を受賞し、小説家デビュー。漫画原作や動画制作、パンクロックなど多岐に活動。近著に『ダンゲロス1969』(Kindle)

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