【海外出産奮闘記#3】ボロボロの「乳首と肩こり」に疲労困憊…。~気遣い母のお産扱いとドタバタ第一子出産編~ (2/3ページ)
ところが母は、日本にいる父にメールで相談したり、「早く赤ちゃんに会いたい、何の為にここにいるのか分からない」と呟いたり。
一緒に暮らしていても、かつては“ひとつ”の存在だった娘の私と母の間には、いつの間にか深い谷がそびえていました。
それはハッキリとは認識していませんでしたが、一抹の寂しさとして私の胸を鈍く刺しました。
「どうして赤ちゃんは出てこないの?」そんな風に私は自分を責めました。もちろん、母にそんな意図はさらさら無い事は分かっています。
“娘からの卒業”、そんな言葉が胸をよぎりました。
■2週間を過ぎた予定日…、ようやく赤ちゃん誕生!
結局予定日から2週間を過ぎてしまったので、陣痛促進剤で人工的に陣痛を起こす事になりました。
陣痛促進剤による陣痛は本当に激痛です。普通の陣痛が1、2、3と段々と痛みが増すのに比べて、陣痛促進剤は1からいきなり10に飛びます。
しかし、赤ちゃんは元気に生まれてきてくれました。眩しそうに目をつぶる赤ちゃんを見て、ナースが照明を落としてくれました。
パチリと目を開けてキョロキョロと辺りを見回す赤ちゃんを胸に抱き、私は長い長い妊婦生活を終えた安心感で、心からほっとしたのをよく憶えています。
時は10月の終わり、ボストンの樹々は美しく黄金に染まる季節でした。
アパートの窓から臨む美しい紅葉。
■「新生児黄疸」で入院!
「アジア人にはよくあることだけど」という前置きで新生児黄疸の診断を受け、赤ちゃんはNICUにしばらくいることになりました。「そうなんだ」とあっさり承諾したと思っていても、身体は正直です。突然びっくりするほど大量の悪露が出たり、涙が溢れたりと、精神的に不安定になりました。
アメリカは医療費が高いためか、少しよくなるとすぐに家に帰されます。赤ちゃんは紫外線を身体に当てる機械とともに、私たちのアパートへ帰ってきました。
しばらくは授乳、オムツ替え、そして毎回ベッドへ寝かすたびに紫外線の機械を身体に当てる生活が続きました。目に光が当たらないように、服の中に仕込むような形です。