人と人が集い、語る「応接の文化」で新しい煎茶道を発信する 島村満穂さん《前編》 (2/3ページ)

fumufumu

満穂  父の秘書が退職したことをきっかけに広島に戻ってきてくれないかと呼び掛けがありまして。そこで一度実家に戻り、父と話し合った結果、煎茶道の広報として活動することが決まりました。今は父・島村充が家元、弟が若宗匠として三癸亭賣茶流の中心となり活動しています。「煎茶道」という言葉自体を目にすることはあると思いますが、実際に何をしているのかをきちんと知っているという人は決して多くはありません。だからこそ様々な形で煎茶道を認知していければと思い、広報として頑張ろうと決意しました。 一度は離れてしまったお茶の世界。戻られてからが大変そうですね。 満穂  ちょうどお茶の世界に戻ってきたのが3年ほど前。常に勉強の日々でしたが、幼い頃に学んだことだからどこかで頭が覚えていましたね。懐かしいなと思いながら勉強していました。広報としての最初の活動は子供向けの煎茶イベント。 時期が夏休みだったことに加えて場所がなんと国際フォーラム!最初のイベントがそこからでしたので本当に大変でした。でも企画アイディアを出してそれを形にしていくことは楽しくて好きなんです。子供の時に体験したことというのは大人になっても覚えています。だからこそ、子供たちの記憶に残るイベントを開催したいなと思って・・・。この時の経験は今、私が行っている事業にも活かされています。 「煎茶道」とはどのようなものなのでしょうか。 満穂  煎茶道は応接の文化といわれています。人が集まり、お茶を飲みながら交流を楽しむというコミュニケーションの一つ。江戸時代では文人や詩人、知識人たちの間で広まった文化として知られています。茶道のように形式にとらわれることなく、自由にお茶を嗜むことがよしとされており、古来中国より伝わってきた煎茶は流派によって茶葉の選び方や淹れ方がそれぞれ異なります。三癸亭賣茶流は中国で一番古いお茶室の名前である「三癸亭」と煎茶の祖といわれる「賣茶翁」がその名の由来。最小限の動きを「美」としています。人と人が集い、喜び、語る場所を芸術の力で整えていくことが三癸亭賣茶流の目指す先。厳しい部分も確かにありますが、古くから伝わる大衆文化を1人でも多くの人に知ってもらいたいなと思っています。

幼い頃から煎茶道を嗜み、回り回って今の地位を築き上げてきた島村満穂さん。

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