人と人が集い、語る「応接の文化」で新しい煎茶道を発信する 島村満穂さん《前編》 (1/3ページ)

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人と人が集い、語る「応接の文化」で新しい煎茶道を発信する 島村満穂さん《前編》
人と人が集い、語る「応接の文化」で新しい煎茶道を発信する 島村満穂さん《前編》

今週のB!Storyは一般財団法人煎茶道三癸亭賣茶流(さんきていばいさりゅう) 3代目家元生まれの島村満穂さん。幼い頃から煎茶道に親しみ、現在は三癸亭賣茶流 広報として東京と広島を拠点に活動中。煎茶を世界に広めるべく、オリジナル茶器ブランド「MY CHAKI」のプロデュース業から煎茶のケータリング事業「Catering Sencha」まで自らが起こした事業で活躍をされているとのこと。バイタリティに溢れる島村さんのSTORYをお聞きしました♪

煎茶道の家元生まれとのことでしたが、やはり小さいころからお茶を嗜んでいたのでしょうか 満穂  そうですね。母方の祖母から煎茶道を教わりました。家族や身内にはとても厳しく、作法がなかなか頭に入らなくて困っていた記憶があります。お茶室で正座をして煎茶を頂く時も正座が辛くて(笑)。5歳から参加をしていたのですが、お茶の味がわかるわけでもなく、楽しいというよりはお茶会は厳しい世界なんだ!という印象が子供の頃は強かったですね。挨拶から座り方、鑑賞の仕方、とても繊細な世界だから知れば知るほど極めることの難しさを幼いながらに実感していました。 幼い頃から厳しいお茶の世界を見てきたとのことですが、将来もやはりお茶の世界を考えていたのでしょうか。 満穂  そんなことはありませんよ。実は小学校の頃から少しずつですがお茶の世界から離れたことがあるんです。中・高は福岡で寮生活、大学はどうしても東京に行きたくて都内の大学へ進学しました。この時は家庭教師のバイトや歯科助手、選挙のオペレーター、リサーチ調査ととにかく多種多様な職種に挑戦しました。今振り返ると昔から人に何かを伝えることが好きだから現在のような仕事をしているんだなと改めて思います(笑)。大学生になると就職についても色々と考え始めますが、私の場合は化粧品業界へ行きたいと思い、大手化粧品会社へ就職しました。営業職として販売員の指導を行い一人ひとりのスキル向上に務めて・・・。ルーティーンワークよりも自分から行動を起こしていく営業が向いているみたいです。 現在はご実家でもある三癸亭賣茶流の広報として活躍されていますが、どのようなきっかけでお茶の世界にまた戻ってきたのでしょうか。
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