プロレス解体新書 ROUND8 〈北尾光司“笑撃”デビュー〉 話題性のみを求めたが故の結末 (1/3ページ)

週刊実話

 現役横綱からのプロレス転向となった北尾光司。大相撲時代には小錦をひねり潰すほどのパワーを誇り、まだ20代と若いこともあって将来を嘱望する声も多かった。しかし、その船出はプロレス史に残る惨憺たるものだった。

 1990年2月、『笑っていいとも』にゲスト出演した長与千種は、とあるポーズを何度も繰り返した。左の手のひらを前方やや上に突き出し、拳をつくった右腕はガッツポーズのように折り曲げる。
 司会のタモリはまったくピンときていないようだったが、プロレスファンなら一目でそれと分かった。前日にプロレスデビューを果たした北尾光司を真似たのだ、と。
 「もちろん、北尾をリスペクトしてのものではない。終始、半笑いだった長与の様子から、北尾を小馬鹿にしていたのは明らかです」(プロレスライター)

 この頃、多くのプロレスファンの女子プロレスに対する認識は、闘いではなく芸能に近かった。
 「これは業界内でも同様で、プロレス専門誌が女子プロを扱うことに、拒否反応を示すファンや関係者も多かった」(同)

 そんな女子プロレスラーの長与が、鳴り物入りで新日本プロレスのマット、しかも東京ドーム大会でデビューを果たした北尾を揶揄すれば、反感を買いそうなものだが現実は違った。
 「むしろ『長与、よくやった』との声が大きかった。これはファンに限らず関係者も同じで、それほどまでに北尾は嫌われていたのです」(同)

 大相撲の横綱だった双羽黒が所属する立浪部屋を脱走し、廃業となったのは'87年のこと。以後は本名の北尾光司として、スポーツ冒険家の肩書で活動を試みるもパッとしなかった。
 〈師匠のおかみさんに暴行を加えた〉などと報道されたことで、北尾の評判は最悪。実際は部屋側にも問題があったようだが、横綱在位中でありながら「相撲界に未練はない」と言い放った北尾が、問題児であったことに違いはない。
 また、廃業後すぐにプロレス入りが取り沙汰された際、『そんな安易な考えはない』と斬って捨てたことも、プロレスファンから不評をかこつ一因となった。

 さて、北尾のデビュー戦は『'90スーパーファイトin闘強導夢』で行われた。

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