ディズニー王国事始め~『白雪姫』がすべてを変えた(3) 前代未聞の画期的な作品『白雪姫』:高橋ヨシキ連載6 (4/6ページ)
これは、ありとあらゆる革新的な表現や映像について言えることですが、「そういう表現」が一般化し、市民権を獲得した後で、エポック・メイキングな作品がなぜ発表された当時そこまでエポック・メイキングなもの足り得たのかを知ることは難しい。卑近な例でいえば、多くの若い世代の人にとって『スター・ウォーズ』の1作目(77年)は、古臭く野暮ったい作品に見えるといいます。ルーカスはそれを嫌って「特別編」など数回に渡って映像を手直ししし、また「オリジナル版」をなるべく流通させないよう心を砕いてきたのですが(これはこれで、映画史を考える上では実に迷惑な話でもあります)、そういう若い人たちに、ぼくなどが『スター・ウォーズ』で受けた衝撃をうまく伝えるのは至難の業です。「だって今の目から見たら全然ちゃちいもん」と言われたらグウの音も出なくなってします。
『白雪姫』も同様です。「長編アニメーション映画」というものが空気のように存在し、また3DCGアニメーションがそれこそフォトリアリスティックなまでの質感と奥行き、臨場感を与えてくれる現在、『白雪姫』の映像がどれほど驚愕に値するものだったか、その圧倒的な衝撃を伝えるのはますます困難になっています(同じことは、古いホラー映画などについてもいえます。1930年代に『ドラキュラ』や『フランケンシュタイン』が上映されたときには、恐怖のあまり劇場で失神する人まで出たのですが、今ではなかなか信じてもらえません)。
当時、マルチプレーンカメラやロトスコープといった技術を使っていたのは、もちろんディズニーだけではありません。フライシャー兄弟もそうした技術をおおいに活用していますし(とくにロトスコープはフライシャー社のトレードマークと言ってもいいほどです)、また、アニメーションの背景を立体のミニチュアにしてみたり、実写映像とアニメーションを組み合わせるなど、多くの実験がディズニー以外でも繰り返されていました。
『白雪姫』は、そういう技術の集大成として登場したのですが、他の実写作品の添え物ではない「長編映画」として独立した「本編」だったことの重要性は強調してもしすぎるということはないでしょう。事実、製作当時『白雪姫』の試みは「無茶な野望」で、「おそらく失敗に終わる」との下馬評も多くありました。