プロレス解体新書 ROUND11 〈“選ばれし神の子”の試練〉 中邑真輔vsダニエル・グレイシー (1/2ページ)

週刊実話

 今春、新日本プロレスから米WWEへと活動の場を移した中邑真輔。デビュー当初の格闘スタイルから変貌し、「イヤァオ!」と叫びながら体をクネらせる独自のファイトが、いまや米マット界でも認められつつある。

 新日入団当初から大きな期待を寄せられた中邑だが、果たしてそれは当人の望むものだったのか…。中学の頃からプロレスラーに憧れていたが、周囲の勧めもあって青山学院大学に進学。中邑は同大レスリング部の主将まで務めた。
 ようやく新日入門となったのは2002年。しかし、当時のプロレス界、中でも新日は総合格闘技という荒波に飲み込まれようとしていた。
 PRIDEに参戦した藤田和之を筆頭に、永田裕志、安田忠夫、石澤常光(ケンドー・カシン)、小原道由らが相次いで総合格闘技のマットに挑戦。その当初には、藤田が“霊長類最強”とうたわれたマーク・ケアーに勝利し、'01年の大みそかには安田もジェロム・レ・バンナに涙の勝ち名乗りを上げる金星もあったが、一方で同年には藤田と永田がミルコ・クロコップに連敗するなど、格闘技路線における新日の先行きは決して明るいものではなかった。
 そこに入門してきたのが中邑である。レスリングの実績があり、さらには和術慧舟會で総合の練習もしていた。加えて、体格に恵まれマスクもいいとあっては、新日関係者が色めき立つのも当然だった。

 デビュー戦は'02年8月、藤田和之プロデュースと銘打たれた新日の日本武道館大会。相手に選ばれたのは元IWGP王者で、当時は魔界倶楽部のリーダー格だった安田。試合順は休憩明けの第7試合という破格の扱いだった。
 いざ試合となっても素早いタックルからマウントを奪い、安田の巨体をジャーマン・スープレックスで投げ捨てるなど見せ場はたっぷり。結果、安田のフロントチョークで敗れたとはいえ、今後の飛躍を大いに期待させるパフォーマンスを披露してみせた。

 これにより中邑には“選ばれし神の子”というキャッチフレーズが与えられた。
 「この頃の新日で“神”といえば、もちろん創業者であるアントニオ猪木のこと。

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