天才テリー伊藤対談「矢追純一」(2)日テレを力道山の会社と思ってた!? (1/2ページ)
テリー 日本へ引き揚げてきたのはいつですか。
矢追 12歳、小学校6年の時です。やっと東京に着いたものの、母親が心臓を悪くして入院したので、そのベッドの下にゴザを敷いて、僕ら子供3人はそこから小学校に通ってね。
テリー よくそんな環境で大学まで進学できましたね。よっぽど熱心に勉強したんですか?
矢追 いえ、全然。終戦後のゴタゴタで人生観が大きく変わったんですよ。本当に生きるために何でもやっているうちに、金や財産、名誉、プライド、生命──あらゆることに執着がなくなりまして。
テリー 要するに“欲”がなくなった、と。
矢追 そう。でも不思議なことに、そうなると何でも自分の思ったようになるんですね。勉強しないし、努力もしたことがないのに、大学には受かっちゃった。
テリー 矢追さん、UFOに答えを教えてもらったんじゃないの?(笑)。じゃあ、何でテレビ局に入ろうと思われたんですか?
矢追 いや、これも全然思ってなかった。高校の頃から日比谷公会堂の隣のビルでエレベーターボーイのバイトをしていたんだけど、そこに月に一度だけ来るおじさんがいたんですね。顔を合わせたら挨拶するぐらいの関係だったんですが、大学4年のある時、「キミ、就職決まった?」って突然声をかけられて、「まだ何にも考えてません」と答えたら、「じゃあ、日本テレビを知ってるか?」と。
テリー 誰なんですか、その人は?
矢追 当時の日テレの著作権課長。著作権協会がそのビルにあったから、月イチの会議で来てたわけ。で、その人の好意で、当時麹町にあった日テレを見せてもらったんです。その頃僕は、テレビは力道山のプロレスぐらいしか観てなかったから、「日テレというのは、きっと力道山の会社なんだな」と思ってね(笑)。