プロレス解体新書 ROUND12 〈想定外だったファン離れ〉 テリー・ファンク最初の引退試合 (1/2ページ)
日本のプロレス界において鬼門ともいえるのが、引退からの現役復帰アングルであろう。一つやり方を間違えれば、いかに人気のアイドルレスラーとて、ファンからの強い反発を受けることになる。
スポーツ選手における引退からの現役復帰は、決して悪いイメージばかりではない。アメリカならバスケットボールのマイケル・ジョーダンにボクシングのジョージ・フォアマン。日本でもテニスのクルム伊達公子などは、全盛時のパフォーマンスには及ばずとも、いずれも“レジェンド復活”と好意的に捉える声は多かった。
だが、日本のプロレス界においては多少事情が異なってくる。
「引退から復帰のイメージを決定的に悪くしたのは、間違いなくFMW時代の大仁田厚で、これは『週刊プロレス』でも全否定されていた。1年にわたって引退ツアーをしておきながら2年も待たずに復帰とは、ファンに対する詐欺にも等しいという理屈です」(プロレス記者)
いささか感情に走った批判ではあったが、しかし、多くのファンもこれに同調した。
「特に日本のファンは『プロレスはインチキ、八百長だ』との世間の声に常にさらされてきたからか、選手や関係者の嘘やごまかしには極めてナイーブで、『面白ければいい』と開き直って楽しめないところがある。もともと好き嫌いの分かれる大仁田だから批判されたわけでもなく、それ以前には絶対的なアイドルレスラーだったテリー・ファンクですら、引退からの復帰で著しく人気を落とすことがありました」(同)
テリーが最初に引退を口にしたのは1980年のことだった。
「私のヒザは皆が思っている以上に状態が悪い。まだ動けるうちに身を引きたいので、3年後の誕生日に引退する」
このときテリーは36歳。唐突な発言にファンもマスコミ関係者も驚かされた。とはいえテリーは、その後も一線級で活躍。'82年には世界最強タッグリーグで3年ぶりに優勝するなど、引退宣言もうやむやになりそうなムードだったが、前言通り'83年6月には『テリー・ファンクさよならシリーズ』が開催された。
全日のレスラーグッズなどを扱うジャイアントサービスからは、引退記念の自伝書『さよなら日本の友達! オレは…アマリロの熱き風になる』も刊行されるなど、周到に準備された引退ロードであった。