元西武・羽生田忠克氏「闇カジノ8億円」地獄を懺悔告白!(1)球界復帰を目標に安定した収入を捨てたところ… (1/2ページ)
かつて、「常勝軍団」と呼ばれた西武ライオンズで、「球界一の鉄砲肩」と称されてチームの優勝に貢献してきた男が、人知れず転落の一途をたどっていた。舞台は闇カジノ──。昨年来、球界を震感させた野球賭博事件とも桁違いの莫大な金をつぎ込んでしまった。危険な遊戯の悪夢を振り払うかのように、羽生田氏は口を開いた。
「闇カジノに突っ込んだ総額は、8億円ぐらいになりますかね‥‥。勝つ時もあってちょこちょこ返済はしてたんですけど、今もまだ借金が3億5000万円残っています」
静かに語りだしたのは、元西武ライオンズの強肩外野手・羽生田忠克氏(52)である。茨城・土浦日大高から1982年にドラフト外で西武に入団。あの清原和博の3年先輩に当たる。
87年に一軍初出場を果たして以降、「常勝西武」の屋台骨を支えた元スター選手の身にいったい何が起きたというのか──。
「自分の引退理由はヒジの故障。現役最終年、97年の開幕前に3度目の手術をしたんですが、『今季中に復帰できなければ、球団として次の契約はしない』と通告されていました。自分では『もうこのヒジではダメだろうな』という感覚があったので、引退後のことを見越して携帯電話販売店の経営を並行して始めていたんです」
そして、同年10月にみずから引退を申し出ると、そのまま経営者としての新たな一歩を踏み出した。
「野球を辞めて雇われのサラリーマンになるよりは、自分で何か商売を始めたほうがいいんじゃないかと思って、いろんなことをやりました。他にも共同でキャバクラを2店舗経営したり、足ツボマッサージの店を出してみたり」
元来の真面目な性格が功を奏したのか、経営はいずれも順調だったという。
「キャバクラはけっこう儲かりましたね。商売をやってた時は選手時代と変わらない生活ができていた。収入面で困ったということはなかったです。03年頃にはプロ野球のオフシーズンにだけ開催されていた、マスターズリーグでまた野球を始めることもできました」
羽生田氏の現役時代の最高年俸は、95年の推定2450万円。それと遜色のない収入を上げていたとしたら、まずは第2の人生でも成功を収めていたと言えよう。