原作ファンの芥川賞受賞作家・村田沙耶香、『溺れるナイフ』愛を語る (3/4ページ)
■8/6(土) 『溺れるナイフ』× 中上健次 クロストーク at 高田グリーンランド
登壇者:山戸結希監督x村田沙耶香(作家)伊土紀州(脚本家)x市川真人(評論家)

市川:昨日に続き、今日は更に作家の村田沙耶香さんもお招きし、『溺れるナイフ』と中上健次について話していきたいと思います。『溺れるナイフ』がどのような点において、中上的かというと、全能感を失った若者たちがいかにしてそこからもう一度、立ち直れるかという物語であるということ。コウちゃんという少年は神の子のように美しく、また非常に軽やかな若者。そんな彼が自分の最愛の女の子を守りそこねた瞬間から、いわば堕天使がもう一度、天に登るにはどうしたらいいかという話があり、一方、夏芽という女の子も東京の人気モデルであったが地方に転校して、ある事件によってある種の堕天があり、もう一度どうやって羽ばたくのかという、2つの堕天と再生の物語。「堕天」「全能感の喪失」は中上健次に刻まれている。また、田舎という遅れた都市が、都市になろうとする軋みも、中上健次が描いてきた。ジョージ朝倉さんは中上健次を愛読されていた。中上的なもの、いわば文学的なものは21世紀にどう創作可能なのか?我々は考えていかなくてはならない。
山戸:ジョージ先生が真摯に向き合われている主題として、少年少女は完全な理想を目指すが、少年少女であるがゆえに、不完全な真実が露呈してしまう。それでも、夢を見ることは出来るのか?どんな夢を見るのか?というテーマがあると思います。少女漫画の世界では、恋をしたら永遠に結ばれるけれど、ジョージ先生はもっと真実の世界を見ている。全ての女性の人生には、菅田さん演じるコウちゃんのように、憧れを抱かせる男性と、あるいは重岡さん演じる大友のように、お互い等身大で自分を救ってくれる男性が存在する。けれど、憧れには終わりがあるし、等身大に甘んじては自己実現は果たされない。