早くも「時かけロス」?「時をかけられないおっさん」が見たドラマ版『時をかける少女』の魅力 (4/5ページ)

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電気グルーヴの歌ではないが、学校ないし家庭もないしという、実にわかりやすい未婚のアラフォー人生をただただ漂泊し続けているだけの、"時をかけられないおっさん"にとって、こうした青春モノというのは、本来であれば、割とハードルの高い部類に入る作品と言えるかもしれない。なぜならそれほどまでに「青春」というものが、あまりに昔日のものとなりつつあるからだ。

しかし、毎日の暮らしにおいて、翌日から何かが大きく変わるわけでもなく、昨日や今日とだいたい同じな時間が明日も流れるだけだとわかっていながらも、なぜか晩夏の宵に吹く夜風に鼻先を撫でられると、ふと何か寂寥感じみた想いを感じてしまうように、また、楽しげに笑いながら逃げ水を追いかけるようにして帰る中高生の後姿に、はからずも絶望的なまでの得がたい眩しさを感じてしまうように、とかく"戻れない夏感"というのは、中高年にとって、若いころには感じ得なかった何かを、傘すら用をなさぬほどの激しいゲリラ雷雨のごとく、否が応でもお見舞いし続けるものだ。

そうした意味で言えば、筆者のようなおっさんにとっては、どこか胸をえぐられるような感覚すら受けることも事実だが、だからこそ、泣くことさえも忘れてしまった大人たちは、たとえいくつになっても、こうした作品にそれとなく触れて、時として、人目を忍んでさめざめと涙することも、良いものかもしれない。

文・鹿葉青娘

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