レオナルド・ダ・ヴィンチが発明したホラー漂う潜水服 (2/4ページ)

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しかし、フランスが侵攻してきて、ダヴィンチの前パトロンの彫像を射撃訓練の的にし始めたため、彼はヴェネツィアに逃亡した。ここでダ・ヴィンチは、この水の都がオスマン帝国に繰り返し攻撃されるのを目の当たりにした。オスマン帝国はヴェネツィアの海軍を打ち破って、大勢を捕虜にした。

 ダ・ヴィンチは、自分の新居の地理からアイデアを得た。海岸を何日もぶらぶらしながら過ごし、潮やその動き、波の力など水の特性をメモにとった。戦争という政治的な状況の影響もあって、彼はこうした観察をすぐに利用できる目的に当てはめようとした。

 「ヴェネツィアはまさに、役に立つこうした献身を必要としていた。それは、レオナルドだけが提供できるものだった」と、エドワード・マッカーディは『レオナルド・ダ・ヴィンチの心』の中で書いている。「彼が取り組み始めた問題は、将来的にどうやってこうした攻撃を阻止するかということだった」

 ヴェネツィアとオスマン帝国のゾンチオの戦い。

 ヴェネツィアの無名の画家による作品。

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 これを実現するために、ダ・ヴィンチは例によってノート作戦に専念した。このノートには、彼の生涯の業績が何千ページにも渡って綴られていて、その中にさまざまなダイビングスーツのスケッチもあり、左右を反転させた鏡文字で彼のサインがしていある。

 ダイビングスーツはほぼ完成していて、革のスーツにゴーグルのついたフェイスマスク、膨らますことのできるワインの革袋で、沈んだり浮いたりすることができるようになっていた。

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 籐でできていて、鉄の輪で強化された、呼吸チューブのための穴がふたつあいていて、ダイバーの口元から水面までつながっている。

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