その時間は必要?それともムダ?うまく「時間配分」できる考え方 (2/3ページ)
■一見ムダな気がするけど必要なもの
そして、必要な時間とムダな時間を見極めるにあたっては、「一見ムダに見えて必要なもの」がいちばん厄介なのだそうです。それは3つあるといいます。
1つ目は、誰でもできる単純作業だけれど、それをやることにより、改善が見つかるなどの効果があるかもしれないもの。現場に入ってみることなどが、これにあたるといいます。
2つ目は、積極的休養。休みは一見ムダに見えますが、人間は機械と違って、ときどき休まないと動けなくなってしまうもの。そこで、必ず余裕を持って時間を設定することが大事だということです。
たとえば1週間のなかで、1日は予定を入れない日をつくる。あるいは1日のうち1、2時間はなにも入れないようにする。そうした時間には、人と会う、本を読む、旅をするなど、未来への投資にあてるわけです。
3つめは、過去について向き合うこと。現在から見て過去はすでに終わったことですが、未来を生み出すためには、過去と向き合うことがとても大切なのだと著者は感じているのだそうです。
お墓参りに行くとか、親孝行をするとか、祖父母に先祖のことを聞くとか、生まれ育った土地を知るなど。
それらが必要だという因果関係を明確に言葉にはできないものの、多くの成功者たちを見ると、確実にこの領域を大切にしていると著者はいいうのです。
また著者自身も、お墓参りの回数を増やしたときから、ムダな時間がなくなってように感じているのだとか。
しかしこれは、決して霊的な意味ではありません。著者は、こう解釈しているのだそうです。
お墓に行くと、誰もが手を合わせます。本当はそこには誰もいないのに、いるような気にもなるし、いるつもりで、お礼や報告、お願いごとをするわけです。すると、なぜかピリッとした気持ちにはならないでしょうか?
著者によればそれこそが重要で、「誰もいないときにも誰かが見てくれている。だからちゃんとしよう」と、だらけたころにピリッとすることが出来る癖づけをしているように思うのだというのです。