プロレス解体新書 ROUND14 〈新日本vsUインター〉 対抗戦の裏メーン「長州vs安生」 (2/2ページ)
安生はUWFへの入門許可を得る前から、勝手に道場へ布団を持ち込んで寝泊りしていたとの逸話もある。Uインター旗揚げ後には慣例を無視するかのごとき、さまざまな企画で業界に波紋を投げかけたのも、安生の肝の太さがあってこそではなかったか。
'95年に始まるUインターと新日の歴史的対抗戦も、もとは'92年、安生らが高田の名代として蝶野正洋への挑戦を訴えたことがきっかけだった。事前交渉もなく勝手に新日事務所へ乗り込んだその行為は、「あいつらが死んだら俺が墓に糞ぶっかけてやる」と、長州がマジ切れするほどの暴挙と受け止められた。
このように、UWF系では技術面でも精神面でも上位の実力者だった安生だが、では外部からはどう評価されていたのか。
「俺でも永田(裕志)でもタックルでテイクダウンできたら、その時点で負けでいい」
新日vsUインター対抗戦、最初の横浜アリーナでの試合の前に発せられた長州の言葉からは、一切、安生へ畏怖は感じられない。
「もちろん対抗戦だから、相手を持ち上げるようなことは言わないが、長州は基本的に本音でしかコメントしない人ですからね」(スポーツ紙記者)
先の“糞ぶっかける発言”のとき、「でも、山ちゃん(山崎一夫)はいいヤツだから(かけない)」と続けたのが好例だろう。本気で罵倒しているからこそ、好感を抱く相手への気遣いも欠かさない。つまり、長州は安生の試合なりを見て、タックルでテイクダウンされる可能性はゼロと早くから確信していたのである。
対抗戦本番、長州vs安生のシングル戦は長州の一方的な勝利に終わったが、その試合後のコメントからも実際に闘ってみての本音がうかがえる。
『キレちゃあいないよ。安生も俺をキレさせたかったんじゃないか? 勇気ねぇよな』
安生からは、長州が危ういと感じるような攻めがなかったというわけだ。“勇気ねぇよな”との言葉からは、シュートを仕掛けようという素振りすらなかったこともうかがえる。
「ヒクソン道場に単身乗り込み、のちには前田を闇討ちした安生が、なぜ長州の前ではおとなしくプロレスに徹したのか。Uインターの窮状を救うために仕組んだ対抗戦だから、それを壊すような真似はできないという考えは当然あったでしょう。ただ、一方では“シュートで長州にはかなわない”との思いもあったのでは…」(同)
とはいえ、それはあくまでもタックルから始まるレスリング勝負の話で、元五輪代表の長州に分があったというだけのこと。その後、ゴールデンカップスなど自由気ままな試合ぶりを許されたのは、安生の実力が新日で認められていたからに違いない。