【世界の街角】世界一の美食の街がリヨンと言われる秘密とは? (2/4ページ)
第一次世界大戦によってリヨンでも多くの男性労働力が失われ、リヨンの街が育んできた食の土台は大きく揺らぐ事になります。
そんな危機的な状況を救ったのが、今では「メール・リヨネーズ(リヨンの母)」と呼ばれているリヨンの女性たちでした。
女性達は試行錯誤する事により、リヨンの街が育んできた食をさらに磨き上げ、シンプルで質の高い料理をどんどんと作り出していきます。

・ミシュラン三つ星を獲得した初めての女性「メール・ブラジェ」とは?
第一次世界大戦の終結後から8年後の1926年(昭和元年)、この年、現在にまでその影響力を持つ1つの雑誌が生まれます。
それがタイヤ製造会社のミシュランが始めたレストランガイド。
実はミシュランガイドはパリ万博が行われた1900年、自動車運転者向けのガイドブックとしてフランスで発行されたのが始まり。
スタート時はガソリンスタンドやホテルの場所を指し示す地図のようなガイドブックでしたが、このミシュランガイドが車産業の発達をさらに促進するため、レストランの格付けを開始したのが1926年(昭和元年)でした。
そしてそのレストランガイドがスタートして7年後の1933年、「メール・リヨネーズ(リヨンの母)」の1人、メール・ブラジェが女性として初めてミシュラン三つ星を獲得することになります。
このメール・ブラジェこそ、今では世界の巨匠と呼ばれるポール・ボキューズの師匠でした。