【帰ってきたアイドル親衛隊】スタ誕出身なのにヒット曲には恵まれなかったが…大橋恵里子は当時子供だった私の「憧れのお姉さん」 (2/2ページ)
番組はこの数か月後に終了してしまったのだが、毎週のようにスタジオに行って、その後も3回ほど歌わせてもらった。
番組終了してから大橋に会う機会が無くなると思い落胆していたが、『笑ってる場合ですよ!』(フジテレビ系)でお笑い系劇団の東京乾電池と一緒にコントをやっていることを知った。『笑ってる場合ですよ!』は『笑っていいとも!』の前身番組で、新宿のスタジオALTAで生放送をしていた。しかし平日の真昼間に放送していることで、学校に行っている私は番組観覧すらできない状態だった。しかし、そこで諦めることもできないので、祝日には観覧して出待ちをするようになった。ALTAの裏で出待ちをしていると、エレベーターから大橋が降りて来るのだが、その時はマネージャーもいなく、さらに出待ちをしている人が誰もいなかったことで、まさかの2人きりの時間を過ごすことになった。そこで『おはよう!こどもショー』の話しをすると、まさか私のことを覚えてくれてたではないか。当時の大橋は20代前半で、私は中学生になりたての12歳だった。そんな子供に対しても優しくふるまってくれた。
休日になると必ずALTAに行くのが習慣になっていたが、82年10月に番組が最終回を迎えることになってしまった。わずか1年程度しかALTAに通うことができなかった。しかも本業の歌手としての活動もほとんど無くなってしまい、82年3月に8枚目のシングル『夢で会えたら』がラストシングルになってしまった。
それ以降は女優を中心に活動をしていたようだが、芝居で知り合った脚本家の長谷川康夫と結婚して引退してしまった。最後に会ってから30年以上の月日が経ってしまったが、子供当時の憧れのお姉さんみたいな感じだったので、いつかは会って話したい気持ちで一杯です。
(ブレーメン大島=毎週土曜日に掲載)
【ブレーメン大島】小学生の頃からアイドル現場に通い、高校時代は『夕やけニャンニャン』に素人ながらレギュラーで出演。同番組の「夕ニャン大相撲」では元レスリング部のテクニックを駆使して、暴れまわった。高校卒業後は芸人、プロレスのリングアナウンサー、放送作家として活動。現在は「プロのアイドルヲタク」としてアイドルをメインに取材するほか、かつて広島カープの応援団にも所属していたほどの熱狂的ファンとしての顔や、自称日本で唯一の盆踊りヲタとしての顔を持つことから、全国を飛び回る生活を送っている。最近、気になるアイドルはNMB48の三田麻央。