国分太一が「SMAP解散」に踏み込んだ発言をしてしまうある理由とは?

アサジョ

国分太一が「SMAP解散」に踏み込んだ発言をしてしまうある理由とは?

 光GENJIのバックダンサーとして華々しく芸能界デビューしたSMAP。だがその前は、ジャニーズJr.の一員「スケートボイーズ」として活動していた時期がある。

 スケートボイーズは当初、後にほかのグループでデビューする予定だったメンバーを、ジャニー喜多川社長が直接声をかけて呼び集めたという。

「そのなかでも有名なのはV6の長野博です。『YOU、スケボーできる?』といきなり電話がかかってきたけど、長野は興味がなかったので『できない』と無愛想に返答したそうです」(アイドル誌の編集者)

 その数分後に再びジャニーさんから連絡があったが、長野は「だからできないって!」と手荒く断ったとか。

 スケートボイーズには、当時Jr.に所属していた反町隆史や、後にTOKIOのメンバーとなる国分太一も「サポートメンバー」の肩書きで在籍していた。

 しかも驚くことに、国分はSMAPの初期メンバーでもある。1988年にスタートしたSMAPの初レギュラー番組「いつみ・加トちゃんのWAーッと集まれ!!」(フジテレビ系)では、修学旅行中の稲垣吾郎の代替として出演しているのだ。

「この頃は国分と現V6・坂本昌行くんもまた、SMAPの正規メンバーの候補に挙がっていたんです」(前出・アイドル誌編集者)

 結局、ジャニー社長の審美眼にかなったのは木村拓哉、中居正広、稲垣吾郎、草なぎ剛、香取慎吾、森且行(脱退)の6人だったが‥‥。現在の国分が「白熱ライブ ビビット」(TBS系)のなかで「SMAP解散騒動」について踏み込んだ発言をするのも、「もしかしたら自分もココにいたかも」という思いがあるからなのではなかろうか。

(北村ともこ)

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