もはや流行病。アメリカはいかにしてADHD国家となったのか? (4/5ページ)

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 さらに大学生や高校生たちまでが勉強の際のカンフル剤欲しさに、ADHDの振りをして病院に足を向けるようになった。だが結局処方される薬剤は相変わらずアンフェタミンだったのだ。やがてその事実が誰にとっても明らかとなる。

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不明確な診断がアメリカの流行病を作り出すことに

 ADHDはこれまで繰り返し改名され、その症状が大幅に継ぎ足されてきた。ADHDが医学的現象であることについては、シュワルツも疑問を挟まない。しかし、曖昧な定義と複雑な歴史のおかげで、微小脳機能不全とADDを調和させることはほとんど不可能だった。

 それらの症状はそもそもまるで違った方法で問題を定義したものだったからだ。例えば、前者の定義の一つには”一生涯の症状”とあるが、後者ではそのようなことには文献の中ですら触れられていない。

 融通というか、診断の不正確さがアメリカの流行病を作り出した要因であることは間違いない。そして、これを防ぐための基本となるのは、製薬会社の広告、製薬会社から援助された患者団体、恣意的に選択され報告される臨床試験、デスクの上に小切手を置いて、副作用などないと主張するようなご意見筋から切り離された診断である。
 
 しかし、そうした分離は不可能かもしれない。精神障害の診断と統計マニュアル(DSM)や精神科の権威が半世紀前は微小脳機能不全と呼ばれた現象について今でも言及しているのだとすれば、ADHDの大流行は起きなかったはずだ。

 しかも問題は意味論上のものを超えている。たった1人の子供であれ、今日のような600万人の子供であれ、幼い子に一生治ることのない、脳が壊れている病気があると告げるのは酷なことだ。ならば曖昧なままの方がいいとすら思う医師だっているかもしれない。ただし薬の問題に関しては別だが。

 さらに詳しく知りたい人はシュワルツ氏の著書を参考にするとよいだろう。
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