【プロ野球】「目の愛護デー」に振り返る、目のトラブルと戦い続けた名プレーヤー・井端弘和伝説 (2/2ページ)

デイリーニュースオンライン

■一度は引退も決意

 この2009年シーズンはなんとかごまかしながらプレーし、全試合に出場した井端。ところが、翌2010年には症状がさらに悪化。わずか53試合の出場に終わってしまう。目の前が霧がかったようになり、打つ方でも守る方でも満足なプレーができなくなったのだ。

 当時の様子を、井端を支えた明子夫人が週刊誌のインタビューで次のように答えている。

《家にいてもテレビも見られず、ただ痛みをこらえていたという感じで、いちばんつらかった時期です。そのシーズンに、主人は引退を考えました。(中略)『いますぐやめたい。明日チームに報告して球団に言う』って。最後は『治る手はないか私が全部調べるから、それでもダメなら』と2人で納得したんです》(『女性自身』より)

 この角膜ヘルペスという病気は、いまだに明確な治療法が確立されておらず、薬で進行を食い止めるしか手立てがないという。

 それでも、一度は引退も決意したからこその開き直りで1軍復帰を果たした井端。2011年は打撃面でプロ入り後最低の成績に終わり、9月には目の治療で使用していた薬がアンチ・ドーピング規則に違反するとして処分を受ける不運もあった(※のちに球団の申請ミスとして井端自身への処分は軽減された)。

 それでも、3年間ほど回復と再発を繰り返しながら薬を投薬し続け、少しずつ、少しずつ改善の方向へ。2012年は3年ぶりにゴールデングラブ賞も受賞。そしてオフに侍ジャパンに選出され、WBC2013での大活躍へとつなげたのだ。

■現状を受け止め、目を逸らさない

 実は井端、角膜ヘルペス以前にも、両目とも網膜剥離になって手術を経験、という悲劇を経験していた。

 まずは堀越高校入学直後の4月。ノックを受けていた際にイレギュラーした球が左目に当たり、その衝撃で網膜剥離を起こした。この時点で「もう野球はできない」と医師から宣告された井端だったが、手術でこれを乗り越え、高校野球を完全燃焼した。

 だが、亜細亜大学2年春のリーグ戦中、味方投手の投球練習の球がすっぽ抜けてしまい、ベンチにいた井端の右目を直撃。またも網膜剥離を起こしてしまう。他競技に比べて網膜剥離になりやすいとされるボクサーでもなかなかない、二度目の網膜剥離手術となった。

 もっとも、井端はこの不運を《これまでなんとなく左右の視力の違いに違和感があったが、両目の網膜剥離を起こしたことで視力のバランスもよくなった(笑)。まさに怪我の功名である》(『勝負強さ』より)と、プラス思考で乗り越えてしまったのだ。

 これほど目のトラブルを抱えながら、一流プレーヤーへと登りつめた例は稀有だろう。むしろ、目のトラブル・病気がなければ、どれほどの成績を残したのか? と気になってしまう。井端自身も、「いい目で野球をやりたい」と常に考えつつ、最終的にはこんな思考法に辿り着いたという。

《目の怪我がなければ、プロになっていなかったかもしれなかった。そう考えると、今が最良なのかもしれない。それも、これも運命だろう。(中略)現状を受け止め、目を逸らさない。そこには必ず新しい運命が開ける》(『勝負強さ』より)

 さて、コーチ1年目のペナントレースを終えた井端の目には、今の巨人というチームはどのように映っているのだろうか? 現状から目を逸らさず、どのような運命を切り開くのか、注目していきたい。

文=オグマナオト

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