週刊アサヒ芸能「創刊60年の騒然男女」芸能スキャンダルの真相!(2)中尾彬が語った「吉永小百合の血染めラブレター」事件 (1/2ページ)

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週刊アサヒ芸能「創刊60年の騒然男女」芸能スキャンダルの真相!(2)中尾彬が語った「吉永小百合の血染めラブレター」事件

 事務所やマネージャーの目を気にせず、芸能人が本音をぶつける瞬間がある。週刊アサヒ芸能は、そんな僥倖を聞き逃さず、ページに焼き付ける。それが、ここに並んだ珠玉の告白選である。

〈吉永小百合ちゃんのことかい? 僕にとっては、初めて“ラブレターをもらった相手”だから、何といっても印象的な人だよ〉

 こう語るのは俳優・中尾彬(74)で、週刊アサヒ芸能75年9月18日号のロングインタビューでのことである。中尾と吉永は日活の専属俳優として、また早稲田大学の同窓として過ごした日々があった。

 何とも爽やかな語りに見えるが、実は「血染めのラブレター」というとんでもないシロモノ。

〈オランダロケに彼女が行った時、ナイフかなんかで指を切ったんですよ。流れる血を見ているうちに、それで手紙を書きたくなったから、血で書いたというんだよ〉

 世のサユリストたちが驚嘆しそうなスリリングな出来事である。さらに中尾は、吉永のあられもない姿に怒りを覚えたと続ける。

〈彼女の広島のロケ先に立ち寄った時、僕は猛烈に腹を立てた。宿の浴衣の裾もいぎたなく乱して、お銚子を並べ、タバコもスパスパふかしながら酔ってるんだ。「なんだ、その格好は!」って、僕はタバコを投げつけた〉

 国民的女優にも“若気の至り”があったのだ。

 激しく愛し合いながらも別れた2人が、その10年後、73年11月1日号で劇的な再会を果たした。三國連太郎太地喜和子である。

 三國がホストを務めていた「続・おんな対談」のゲストとして太地が招かれたのだ。

太地 三國さんは、どうしてあの時、喜和子から逃げ出したんですか。

三國 (長い沈黙)。

太地 聞きたいの。

三國 10年目にして率直に言うけど‥‥あなたの体にひれふすことがイヤだった‥‥そういうことです。

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