週刊アサヒ芸能「創刊60年の騒然男女」芸能スキャンダルの真相!(3)芸能レポーター座談会「石川敏男・二田一比古・長谷川まさ子が見た戦国ウラ現場」 (2/4ページ)

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石川 聖子はえらいね。

長谷川 それに比べると中森明菜は、あまりの情報発信の少なさに、ついお父さんを訪ねて事情を聞いてしまう。そんな父親から籍を抜いていたというのは驚きました。

二田 明菜は亡くなったお母さんっ子だったというのもある。

石川 感情の起伏は激しいよね。以前、六本木の黒服とつきあっていた頃、都心の高級ホテルのセミスイートに泊まっていて、そこでケンカになったんだな。明菜は部屋のテレビから何から全部壊して、それで出入り禁止になっちゃった。

長谷川 今年は暮れにディナーショーが予定されていますけど、過去にキャンセルした例もあるから、当日になるまで開催かどうかわからないですね。

──聖子、明菜ときたら70年代のスーパースター・山口百恵に触れないわけにはいきません。

長谷川 80年の三浦友和との挙式は、赤坂のTBSから霊南坂教会までフラッシュの光がつながっていたって伝説がありますよね。

二田 ワイドショーも女性誌も「百恵」の文字があるだけで数字が跳ね上がるんだよ。ある社の記者は、新婚間もない2人のゴミ袋をあさっていたくらい。

石川 すごい時代だったよなあ(笑)。そのマンションの隣の家に陣取って、中庭の様子を撮っていた局もあったし。

──87年の国立市への引っ越しも大騒動でしたね。

長谷川 私がレポーターになった直後で、連日、新居の予定地から中継していました。あの閑静な街が、いっぺんに観光地になりましたからね。

石川 そのせいかどうか、93年にはナイフを持った暴漢が乱入したこともあったよな。

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