週刊アサヒ芸能「創刊60年の騒然男女」スポーツ界「波乱のウラ舞台」<プロレス篇/核心インタビュー・坂口征二>馬場・猪木と駆け抜けた50年 (2/2ページ)

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 85年頃からかな、馬場さんと猪木さんとホテルで1~2カ月ごとに会ってた時期があるんだよ。2人が会うなんて大事だから、いつも駐車場から部屋に直行、入る時間もズラしてホントの“密会”だった(笑)。

 統一コミッションを作ろうと、弁護士も呼んで話し合ってある程度までは進んだけど、最後でうまくいかなかったね。ただ2人とも、自分たちがトップのうちに、将来のプロレス界のためにという気持ちはあったと思うよ。毎回、馬場さんが「お前も来いよ」って。2人だけでは気まずいところもあったのかな(笑)。

 馬場さんには“兄貴”みたいな余裕があったね。猪木さんも馬場さんに対しては先輩として接していた。ただ、お互い立場もあるし、なかなか本音で話すことは難しかったのかな。よく言われてることだけど、猪木さんは馬場さんとは入門時の立場が違ったから、追いかけて、けしかけてっていうところがあってね。会社でも内輪では「全日本には負けるな!」とハッパをかけて、意識していたからね。

 馬場さんと猪木さんとの対戦? 若手時代は別として、そもそもトップ選手の日本人同士の対戦ということがない時代だったからね‥‥。

 馬場さんはいつも淡々として怒ったところは見たことも聞いたこともないな。全日本でも怒る人は別にいて、自分はそうする必要がなかったみたい。

 そういえば99年、馬場さんが亡くなった時に遺産額が報道されたんだよ。その時の遺産額と猪木さんの借金の額が一緒くらいだった(笑)。まあ、そのあたりは猪木さんが引退の時にキレイにしたけどね。最近では猪木さんとは6月に会ったよ。「お互いに弱ってんな」って(笑)。

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