「100万人に一人の逸材になれ」―奈良市立一条高校校長、藤原和博が大学生に伝えたいこと

学生の窓口



2016年の4月から奈良市立一条高校の校長を務める藤原和博さん。さまざまな形で「教育分野」に携わり、今のキャリアを築いてきました。そんな藤原さんは大学生活をどのように過ごし、そしてその過ごし方がいま、どのように活きているのか、「マイナビ学生の窓口」の読者限定に熱く語ってもらいました。

――今年の4月から、奈良市立一条高校の校長に就任されました。これはかねてより提唱される、「スーパー・スマート・スクール構想」実現のためと伝えられています。まずは、この構想について教えてください。

藤原 大まかにはスマートフォンを徹底活用することで、アクティブ・ラーニングと科学的進路指導を実現しようというのが「スーパー・スマート・スクール構想」の骨子です。ヒントになったのは、これに先だってリクルートがリリースした「受験サプリ」という学習支援アプリでした。これは講義動画を放映するもので、タブレット端末での利用を想定していましたが、実際にはおよそ7割の生徒がスマホで見ていることが判明し、「もう、小さい画面では見にくいという発想自体が古いんだな」と実感したんです。だったら、最初からスマホを想定した学校での授業や予習復習を念頭にすべきだろうと、1年ほど前に着想したのが「スーパー・スマート・スクール構想」でした。

これは「Bring your own device」、略して「BYOD」という概念に基くもので、つまりは生徒たちが肌身離さず大切に持っているデバイスを、そのまま授業に活用しようという考え方です。学習専用機としてタブレットを配布しても、やがて使われなくなってしまう前例が山ほどありますから、それなら手持ちの端末を使ったほうが、充電インフラを整備するコストもカットできて一石二鳥と考えました。スマホを所有していない生徒には当然、学校側から貸し出すこともできますからね。


■21世紀を生きる子どもたちのための教育
――スマホの活用で、学校の授業はどのように変わるでしょうか。

藤原 スマホは教室の中だけでなく、そのまま外へ持って出ることができますから、生徒たちの世界が閉じないですよね。それによって授業と外の世界が繋がることができる。これこそ、21世紀にふさわしい授業のあり方だと私は考えています。

もちろん、授業を聞いているふりをして、ゲームで遊んでいるような生徒も出てくるかもしれません。そのため、教員の指示があるまで電源を入れてはいけない、教室以外の廊下や階段では使用不可、図書館は利用可能だが着席してイヤホンでの利用を義務付ける、――などなど、ある程度のルール整備が必要でした。少なくとも今、一条高校では、教員と生徒の信頼関係が非常に厚いため、いたずらは発生していません。「ここならスーパー・スマート・スクール構想が実現できるに違いない」と、思った通りのスタートが切れたわけです。

――なるほど。かつては義務教育分野では都内初の民間校長として注目を集め、現在もこうして教育界の第一線で改革を実践されている藤原さんですが、そのルーツはご自身の学生時代にあるのでしょうか。

藤原 それが、そうでもないんです。たとえば高校時代なんて、誰しも授業がつまらないと思うのが普通ですよね。私も同様で、将来の具体的な目標もとくにありませんでした。東大を受験したのは、単にそこが1番の大学だったからであって、実は入りたいとも合格できるとも思っていませんでした。

ただ、自分なりに戦略は立てていて、受験勉強を始めたのが遅い分、「短期間の勉強で勝負できるのは文2だな」と狙いを定めたんです。暗記物に関しては、あまり早くから始めると試験当日までに忘れちゃうと思って、あえて3カ月前から一気にやりました(笑)。

■受験をがんばりすぎて、5月病。バイト先としてリクルートに出会う。
――その結果、見事に東大合格。どのような大学時代を送られたのでしょうか?

藤原 それが、入学してすぐに僕はノイローゼになってしまうんですよ。いわゆる5月病なのでしょうが、要は受験でがんばり過ぎて、燃え尽きてしまったんですね。部活でもやっていればまだよかったのかもしれませんが、毎日帰宅したらすぐ寝てしまう、昼夜逆転の日々がしばらく続きました。結局、それを見かねた親の勧めもあって、運転免許を取りに行ったり、海外留学の計画を立てたりして、なんとか生活を立て直したのですが……。そんな調子ですから、大学時代は教育への目覚めなんて微塵もなかったですよ。

――すると、藤原さんが教育という分野に出会ったのは……。

藤原 学生時代、高い日給にひかれてリクルートでアルバイトを始めたんです。留学資金を貯めるために。結局、その縁で卒業後もそのまま入社することになり、営業部門に配属されました。その時点でもとくに教育に関心があったわけではありません。後にロンドン大学ビジネススクールの研究員となってヨーロッパでの生活を経験し、2年半後に日本に戻ってきた時に、6歳、2歳、0歳と3人の子供を抱えていたことが、本当の意味で教育に関心を持ったキッカケでした。

これから親として10年間は日本の公教育のお世話になるわけですから、関心を持つのは当然ですし、何よりヨーロッパの成熟した社会システムを見て、日本の現状に様々な問題意識を持つようになっていました。帰国後すぐ、40歳の時にリクルートを退社しますが、しばらくは同社のフェローとして、教育や介護、あるいは住宅分野で様々な試行錯誤をやりました。

――そして、47歳で杉並区立和田中学校の校長に就任します。これは藤原さん自身の希望によるものですか?

藤原 そうですね。当時、私はテレビなどで教育評論を展開していましたが、そこで思い知ったのは、評論では何も変えられない、ということでした。いくら口で「今の教育はここが駄目だ」と言ったところで、まったく動かない。やはり教育を変えるなら現場を動かさなければなりません。そこで、自分に学校をひとつ任せてほしいと杉並区教委にかけあったんです。

いろいろ物議を醸す申し出ではあったようですが、結果的に杉並区の申し入れによって6万人の大所帯である東京都の教育委員会が検討を始め、任期付き雇用の条例が作られ、初めての民間人中学校長になることができました。そのほんの2年前までは、まさか自分が校長になるなんて、夢にも思っていませんでした。公務員の父に反発して、その対極の道を選んだつもりだったから、これは自分でも意外な進路でしたね。

■100万人に1人の人間を目指す
――そんな波乱万丈なキャリアを踏まえ、学生時代は将来のためにどう立ち回るのが正解なのか、最後にアドバイスをいただけないでしょうか。

藤原 大学時代は将来のためのベストチョイスは何かと悩みがちですが、自分自身の体験を踏まえて言うと、ある程度絞れたら、あとは時の運に任せたほうがいい。どれだけ考えたところで、何がベストかなんて、わかるはずがないんです。自分も変化するし、相手の会社も変化するから。だから、自分のやりたいことをある程度絞り込んだら、まずはその世界に飛び込んでしまうことが一番。現場でなければわからないことのほうが多いし、自分を最も成長させてくれるのも現場なんです。どんな現場を選んだとしても、それを10年後にベストチョイスだったと思えるようにがんばればいいんです。ようは「覚悟」の問題。

そして願わくば、自分ならではの"希少性"を大切に育んでほしい。まわりと同じ方向へ進むのではなく、我が道を行ければ、自分のレア度を上げられます。それが自分自身の付加価値になる。私自身、会社で40歳までに「営業」と「マネジメント」を学びましたが、それだけだとどれだけがんばっても1万人に1人の人材にしかなれなかったでしょう。

しかし、「営業」×「マネジメント」に3つ目の軸として「教育」を掛け合わせたので100万人に1人の希少性ある人材になれたと思います。そう考えて民間人校長の道を模索したんです。みなさんも、100万人に1人の希少性を目指して欲しい。オリンピックのメダリスト級の希少性であり、1世代に1人しかいないユニークさで生きるということです。

学生時代というのは、そんな自分にしかない「希少性」を見つけるために試行錯誤する時間になるといいですね。いっぱい恥をかいていいから、チャレンジしてみてください。

(了)

藤原和博(ふじわら かずひろ)

1955年、東京都出身。東京大学経済学部卒業後、株式会社リクルート入社。東京営業統括部長、新規事業担当部長などを歴任後、93年よりヨーロッパ駐在、1996年同社フェローとなる。2003年より5年間、都内では義務教育初の民間校長として杉並区立和田中学校校長を務めた。今春より奈良市立一条高校の校長に就任。著書は『人生の教科書[よのなかのルール]』『藤原先生、これからの働き方について教えてください。』など累計133万部。

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