【帰ってきたアイドル親衛隊】ビジュアル系の走りと言っても過言ではない本田恭章に声をかけたら… (1/2ページ)

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【帰ってきたアイドル親衛隊】ビジュアル系の走りと言っても過言ではない本田恭章に声をかけたら…

 学園ドラマからは、これまで無名だった役者が注目されることが良くあり、そのドラマをキッカケに、ブレークを果たすケースは、昔からあることである。『3年B組金八先生』(TBS系)からたのきんトリオ(田原俊彦・野村義男・近藤真彦)がブレークし、この手のドラマは常に注目されていた。『3年B組金八先生』の後継番組としてスタートした『2年B組仙八先生』(TBS系)も注目であり、ここからはシブがき隊(薬丸裕英・本木雅弘・布川敏和)や三田寛子などがブレークを果たした。ドラマはシブがき隊が中心となり人気を博していたが、ここに割って入ってきた男がいた。番組後半に転校生としてやって来た本田恭章である。ナイフを隠し持った転校生という触れ込みで、不良役の薬丸と対立。他の出演者と比べても、断然出演回数は少なかったが、役柄のインパクトが強かったこともあり、出演者を全員食ってしまうほどの存在感を出していた。

 番組が1982年3月に終了するのだが、その直後に歌手としてデビューすることになった。82年といえば、アイドル花の82年組と呼ばれた年であり、本田と共演したシブがき隊や三田寛子のほかにも、中森明菜や小泉今日子、松本伊代、堀ちえみ、早見優などが同期である。そんなアイドル花盛りのメンバーの中に本田も入り『0909(ワクワク)させて』という曲でデビューを果たすのだが、本田にはアイドル色は一切無く、メイクをして中世的なキャラでギターを弾きながら歌っていた。完全にロックシンガーだった。

 しかし、当時は本田のことをロックシンガーという目で見る人も少なくて、アイドル番組などが全盛期だったこともあって、本田からしてみるとチャラい番組ばかりに出演することが多く、世間でもあまり受け入れられない風潮があった。まだビジュアル系という言葉が無い時代だったが、本田こそがビジュアル系の走りと言っても過言ではない。

 ロックシンガーとしては厳しい現実だったが、逆にアイドル番組などを中心に出演していたことで、私は本田と会うことができたのだ。82年11月頃に青山CIプラザの広場で公開生放送が行われていた『アップルシティ500』(TBS系)にゲスト出演していた本田を生で観ることができた。

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