【日本人が知らないニッポン】関ケ原古戦場で戦国武将達が残した「夢のかけら」を味わう (2/2ページ)

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毛利輝元が総大将を務め、石田三成が現場指揮官に立った西軍では、どうやら長期戦を想定していた形跡があるようです。

関ケ原の合戦は、関ケ原だけで行われたわけではありません。上杉、真田も協力して徳川家康の手足を少しずつもぎ取っていく。

そうして家康の野望を潰そうという狙いで多くの武将達が様々な活動をしていました。

・三成の「夢のかけら」

石田三成が陣を置いた笹尾山からは、戦場全体の様子が見て取れます。

石田三成から見て、徳川本陣はまさに「目と鼻の先」。

そして東方に位置する南宮山には、西軍に属した毛利と吉川の大軍がいます。

もしかしたら当時の石田三成は勝利を確信していたのかもしれません。

しかしながら実際の歴史は石田三成の思った通りにはいきませんでした。

家康と内応していた吉川は動かず、南宮山からの支援はなくなってしまいます。さらに小早川秀秋の裏切りにより、西軍は完全に動揺し、あとは皆様ご存知の通り、徳川の統治が江戸時代末期まで続きます。

紅葉が美しいこの山には、かつての武将達の「夢のかけら」が落ちているのかもしれません。

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