【日本人が知らないニッポン】浜松城が「徳川の時代」をもたらした (2/2ページ)

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家康が関東に去ったあとの浜松城は、秀吉の家臣である堀尾吉晴・忠氏親子が城主になります。つまりこの時点で豊臣方が浜松を抑えたということで、家康の関西侵攻を牽制するという意味合いも多分にありました。

ですが、この堀尾親子は秀吉死後、家康率いる東軍所属の大名として関ヶ原に参加しています。「対徳川用防波堤」が、大坂へ進軍するための「一番槍」となってしまったのです。

これはまさに、家康の策略が成せる業。防波堤を取り除くのにこの人物が費やした時間と努力は、我々現代人の想像をはるかに超えています。

・野面積みが語る戦国時代
徳川家康を語るには欠かせない浜松城ですが、ここは野面積みの石垣で有名な城でもあります。
自然石をあまり加工せずに積み上げているため、見た目は今にも崩れそうな石垣。ですがじつのところは排水性に優れ、400年もの風雨や自然災害にも見事に耐え抜いています。過去の職人は、極めて高度な計算を用いて城を建てていたということが分かります。

荒々しい野面積みの石垣は、まさに戦国時代の姿を表現しているかのような形をしています。無骨さと大胆さの裏にある緻密さ。それこそが戦国大名の生きた激動の時代だったのです。

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